◎1989(昭和64)年1月7日の昭和天皇崩御の後、それまでの天皇誕生日である4月29日を「生物学者であり自然を愛した昭和天皇をしのぶ日」として「緑の日」とすることとなった。しかし、実際に制定された法律では、昭和天皇を偲ぶという趣旨は盛り込まれなかった。このため、「昭和の日」に改称する法律案が超党派の国会議員により提出され、数度の廃案の後に2005年に成立、2007年より4月29日を「昭和の日」とし、みどりの日は5月4日となった。
◎起訴状の提出
起訴状の提出は1946年4月29日(4月29日は昭和天皇の誕生日)に行われた。
極東国際軍事裁判において訴因は55項目であったが、大きくは第一類「平和に対する罪」(訴因1-36)、第二類「殺人」(訴因37-52)、第三類「通例の戦争犯罪及び人道に対する罪」(53-55)の三種類にわかれた[43]。判決では最終的に10項目の訴因にまとめられた。
◎ジョン・ケネス・ガルブレイス(John Kenneth Galbraith、1908年10月15日 - 2006年4月29日)は、カナダ出身の制度派経済学者である。ハーバード大学名誉教授。身長は2メートルを超え、偉大な業績とも相まって「経済学の巨人」と評された。
◎1606年に当大陸に最初に到来した白人はオランダ人のヴィレム・ヤンツ[45]であった。だが、赤道付近の熱帯の北部地域に上陸し、その周辺のみしか探索しなかったため、植民地には向かないと判断し、オランダ人は入植しなかった。1770年にスコットランド人のジェームズ・クックが温帯のシドニーのボタニー湾に上陸して領有を宣言し、入植が始まった。東海岸をニュー・サウス・ウェールズと名付けた。アメリカの独立により、1788年からアメリカに代わり流罪植民地としてイギリス人の移民が始まった。
◎ジェームズ・クック(James Cook、 1728年10月27日 - 1779年2月14日)は、イギリスの海軍士官、海洋探検家、海図製作者。通称キャプテン・クック (Captain Cook)。 一介の水兵から、英国海軍の勅任艦長(英語版) (Post-captain) に昇りつめた。
【二年前】
◎板門店(パンムンジョム、はんもんてん)
開業5周年記念で4人で一度行きました。この頃が一番穏やかな時期。もう21年も前になります。
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
開目抄
第11章 権迹相対して判ず 0190.18〜0191.01
講義
前章まで、法華経が失せ果て、仏教界がまったく混濁した経過をお述べになり、本抄以後は、まず法華経を立てるべきゆえんを示されるについて、第一に二乗作仏を、ついで18章以後に久遠実成をお説きになるのである。二乗作仏と久遠実成の内容は本文に詳しいので、ここでは省くが、要するに法華経の迹門において、二乗が成仏すると説き、本門において、釈迦仏は久遠の昔に成道したと説くことは、40余年の長時にわたって説いてきたことにまったく相反するので、信じがたく解しがたき事実を挙げられている。もし40余年が事実ならば法華経は嘘言となるが、法華経は真実であり、40余年には末だ真実をあらわさなかったのである。それは、法華経の現文を拝しても、道理の上からも、現証の上からも、法華経こそ釈尊出世の本懐であり最高唯一の教えであるが、しかし、その事は難信難解で、容易に凡智をもって推しはかれないのである。
ゆえに法華経には「已に説き今説き当に説く経の中でこの法華経は最もこれ難信難解である」と説かれてあり、天台大師は「二門ことごとく昔と反すれば信じ解く解し難し、鉾に当たるの難事なり」、伝教大師は「この法華経は最もこれ難信難解なり随自意のゆえに」と説き、日蓮大聖人は本抄に「一仏二言水火なり誰人か之を信ぜん」と申しのべられている。
しからば、難信難解というのは迹門のことか、本門のことか、仏教全体が難信難解ではないかという疑問が起こる。これに対して「重重の難信難解あり」として、つぎのごとくご教示になっている。すなわち、外道に対すれば仏教は難信難解で外道は易信易解、小乗と大乗に対すれば大乗は難信難解で小乗は易信易解、権教と実教に対すれば実教の法華経は難信難解で権教は易信易解、迹門と本門に対すれば本門は難信難解で迹門は易信易解、さらに文上と文底に対すれば文底独一本門こそ難信難解で文上の脱益本門は易信易解であると。