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2020.4.27-2

2020年04月27日 (月) 00:20
2020.4.27-

◎ローマ帝国の重大な欠陥とは
「神アウグストゥスの業績録」
帝国の経営に当たって自分の帳簿を将来構想や計画立案に活用すると同時に、巧みなプロパガンダにも利用していた………。

こうして、帳簿を公開する伝統が始まった。

だが、重大な欠陥を内蔵していた。………
ローマ帝国の経済では、現在の利益を把握することや将来の収益を予想することがさほど重視されなかったため、複式簿記の必要性は乏しかった。

帝国が衰退するにつれ、公会計は皇帝の個人的監督下に置かれるようになった。歴史家のエドワード・ギボンによれば、臣下は「頂戴するのはすべて君主からのご褒美」で、国からもらうものではないと教え込まれたという。

コンスタンティヌス一世(在位三二四~三七年)の知世になると、財務長官に相当する役職は、専門知識を備えた高級官僚ではなく貴族が努めるようになった。
(帳簿の世界史)

☆ガイウス・フラウィウス・ウァレリウス・コンスタンティヌス(古典ラテン語:Gaius Flavius Valerius Constantinus ガーイウス・フラーウィウス・ウァレリウス・コーンスタンティーヌス、270年代前半の2月27日-337年5月22日)
ローマ帝国の皇帝(在位:306年-337年)。
複数の皇帝によって分割されていた帝国を再統一し、元老院からマクシムス(Maximus、偉大な/大帝)の称号を与えられた。

☆エドワード・ギボン
(Edward Gibbon, 1737年5月8日[1] - 1794年1月16日)
イギリスの歴史家で、『ローマ帝国衰亡史』の著者である。

「父親は若かりし頃の彼が信仰をローマカトリック教会へ傾けかけた時、不安に思った。その頃のオックスフォード大学では宗教論争が激しく、イギリスで紳士階級の人間がカトリックへ改宗するというのは18世紀の当時、人生においてとてつもない意味を持っていた。紳士階級社会の多くからは排斥されるであろうし、また昇進が望めるような門は閉ざされる、ということである。それを恐れた父親は息子を大学から追い出し、彼をスイスのローザンヌに住むプロテスタントの牧師であり個人教授も行っていたパヴィリアード(M. Pavilliard)の元へ送った。彼がローザンヌで受けた教育は終世、彼に大きな影響力を持った。彼は覚え書きにこう書いている。「我が教育の成したものがなんであろうと、それらは私をローザンヌへ追いやった幸運な追放のたまものである。……」(英語版からの訳より)

オックスフォード大学在学中、神学の探究の果てにカトリックに改宗した。当時のイギリス社会ではカトリック信者は立身出世の道が無く、心配した父親によって大学を退学させられ、スイスのローザンヌに送られた。ここでプロテスタントに再改宗した。宗教遍歴の結果、宗教を冷めた目で見つめられるようになった。1788年王立協会フェロー選出。  

☆カトリックとプロテスタント
ルターの登場と「個人主義」の始まり
 ローマ・カトリックと東方正教会に分かれて世界に広がっていったキリスト教は、一六世紀に大転換期を迎えます。これがよく知られた宗教改革です。先駆者であるウィクリフや処刑されたフスの後を継いだのが、マルティン・ルターです。

 「聖書を解釈するのは教皇と聖職者の仕事。何もわからない一般人は、ありがたく教えてもらい、従いなさい」

 ちょっと意地悪な言い方ですが、これが当時のローマ・カトリック。

 そしてローマ・カトリックは「善行主義」ですが、善行にもいろいろあります。たとえばボランティア活動や恵まれない人への施しをローマ・カトリックは今も昔もとても大切にしていて、これは明らかに「善きこと」でしょう。ところが、当時は「ローマ教皇にドンと寄付する」といったことも善行に含まれ、さらに聖職者たちが絶対的な権力を握ったことで汚職や不正も横行していました。

 ルターは、今のドイツに住む一司祭でしたが、大学で神学と哲学を学んだ知性派です。

 「神と人が一対一で向き合うのが本来の姿ではないか」
 「大切なのは善行ではなく、信仰そのものではないか」

 このように考えたルターは、腐敗したローマ・カトリック教会の改革を目的に、一五一七年に九五箇条の論題をカトリック教会に突きつけます。ルターは、悪いことをしてもそれを買えば赦されるという贖宥状(しょくゆうじょう)の発行が、ローマ教皇の資金源になっている点も厳しく非難していました。

 ルターが掲げたのは「信仰主義」「聖書主義」「万人祭司」の三つです。

贖宥状(しょくゆうじょう、ラテン語: indulgentia)とは、16世紀にカトリック教会が発行した罪の償いを軽減する証明書。免償符(めんしょうふ)、贖宥符(しょくゆうふ)とも呼ばれる。

また、日本においては免罪符とも呼ばれ、「罪のゆるしを与える」意味で、責めや罪を免れるものや理由、行為そのものを指すこともある。

☆やっぱり「創価の平成の宗教改革」と重なる??
?
                                                      


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