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2020.4.24-3

2020年04月24日 (金) 00:23
2020.4.24-

【寸鉄】
御書「強敵が人をば・よく
なしけるなり」。試練を
変革の因に。強盛に祈り
     ◇
三重県婦人部の日。地域
と家庭照らす幸福の太陽
希望の声を今日も元気に
     ◇
子ども読書の日。良書と
触れ合えば心が豊かに。
今こそ親子で繙く習慣を
     ◇
3月下旬から50代以下の
感染者急増。気の緩み排
し接触8割減へもう一重
     ◇
信号ない横断歩道、渡る
人いても8割の車が停車
せず。「歩行者優先」守れ



◎名字の言 女優・高峰秀子さんの“若さの秘けつ”
昭和の大女優・高峰秀子さんが養女を迎えたのは、80代半ばの時だった。「かあちゃんは、自分が年をとったと思ったのは、いつ?」と娘から尋ねられ、「今日できることを明日に延ばした時」と、即答したという▼「それは何歳の時?」との質問には「74歳」と。料理や読書に励み、規則正しい生活をおろそかにしない。より良い人生について、生涯、問い続けた。そんな母・高峰さんには「己を律する心が、微動だにせず存在し続けていた」と、娘は振り返っている(『類型的なものは好きじゃないんですよ』河出書房新社)▼中国のことわざに「身体の老いは恐れないが、心の老いが恐ろしい」と。心の老いとは、意欲や気力を失うことともいえよう。社会や生活状況の変化に直面した時こそ、“自分はこう生きる”という哲学があるか否かが問われてくる▼池田先生と親交を結んだ高峰さんは、学会の集いにも参加したことがある。先生は高峰さんを前に語った。「人間はこの地球上に楽しむために生まれてきました。『衆生所遊楽』の人生こそ、真実の人生です」▼遊楽とは、うわべの楽しみではない。豊かな生命力と知恵で逆境も成長の舞台に変え、生涯青年の心で“今できること”に挑戦していく。それが真の「遊楽」の生き方である。(之)


◎2009年新型インフルエンザの世界的流行(2009ねんしんがたインフルエンザのせかいてきりゅうこう、Pandemic 2009H1N1)とは、2009年春頃から2010年3月頃にかけ、豚由来インフルエンザである A(H1N1)pdm09型インフルエンザウイルス の人への感染が、世界的に流行した事象である[3]。CDCによるインフルエンザ・パンデミック重度指数(PSI)においては、カテゴリー1に分類されるパンデミックである[4][5]。

【一年前】
公明党 後半戦1222人 全国完勝????

市議選政党別当選者 公明894人 第一党?
女性当選者 公明301人 これも第一党?

妻「今度の選挙は楽しかったあ?
いっぱい壁を破りに破った?
本番は参院選、お父さんの出番よ?」
?

【二年前】
◎西郷どん
西郷「何にも役に起てなかった………
万策尽きた………」

大久保「やっせんぼ?
………
たかが一つや二つの策が破れたからち、
おめおめ引き下がる吉之助さんじゃなかとか?
………
やれるはずのなかこつを、
やり抜いてきたんじゃなかか?」
??

【三年前】
◎誓いの天地・墨田区(本日の聖教p.3)
私も昨年10月-11月墨田区に4回行きました。庶民の下町に両国国技館・dokomoビル・スカイツリー! 来月の東京交流、墨田区も何件かの税理士を回りたいと思います。
?


◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

開目抄 

第九章 漢土に仏教伝来 0189.18〜0190.07

 また、善無畏三蔵は「義釈」のなかで「我一切本初等とは将に秘蔵を説かんとするに先ず自ら徳を軟ず、本初とは即ち寿量の義なり」とこじつけている。
 しかし、これも、我一切本初とは法身本有の理にすぎず、法華経の三身常住の久遠実成とは較ぶべくもない。証真のいわく「秘密経に我一切本初という」と。
 妙楽大師は「弘決」の文の末方に「偏く法華已前の諸経を尋ぬるに実に二乗作仏の文および如来久遠の寿を明したるもの無し」と断言している。妙楽大師は唐の末、天保年中の人であるから、真言の教えはすべてこれを照覧している。したがって、真実の教えのなかには記小久成がまったくないから一念三千はとかれないのである。
 中国においては、華厳宗・真言宗等が、天台の一念三千の法門を盗み入れて、自宗を飾り立てた。日本においては、大聖人のご入滅後、日蓮宗の各派が、日興門流の義を盗み入れたのである。日蓮宗何々派と言えば、荘厳に聞こえるであろうが、その実体は、決定的な教義や儀式のない、まったく「ゆうゆうとして嬰児の如き」状態で、本尊論さえも決定していないのである。それが本尊の統一・三大秘法の戒壇建立・日興上人の厳義へ復帰等のことが一部に叫ばれはじめてきたのである。しかしながら、宗祖開教の根本義たる「日蓮本仏」「弘安2年の御本尊」については、末だこれらのごとき邪義に深入した思想で容認できるはずがないのである。


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