【寸鉄】
幸福な人生を営む源泉は
我々の生命力―戸田先生
どんな時も祈り根本に!
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「未来の果」は「現在の因」
にあり。今日もできる事
に全力。挑戦の心燃やし
◎名字の言
事故で神経まひを負った男性が、言語感覚を取り戻すリハビリを受けた。2枚のカードに書かれた言葉を組み合わせ、意味の通る文章にするもの。男性は「豊かにする」というカードを手にした。対応する正解は「くらしを」。だが男性は別の言葉を選んだ。「苦労を」だった▼詩人・吉野弘さんが、自身の詩集につづった話だ。「苦労を豊かにする」――楽な道だけでは生き方が貧弱になる。人生を充実させる“苦労”の捉え方を教わる至言といえよう▼今春、小学校の卒業式を終えた、ある未来部員が1本の赤いひもを手に帰宅した。担任教諭から卒業生一人一人に手渡されたという。“ひもの長さはこの6年間で伸びた身長の分”と聞いた両親は、胸が熱くなった▼在学中、病で長期入院した時は、勉強に遅れまいと母子で教科書をめくった。退院後は体力づくりに毎朝、父と走った。身も心もたくましく成長した、わが子の姿に「全てに意味があったね」とたたえ合った。現在は本格的な中学校生活を待ちつつ、家族で勤行・唱題にも挑戦する▼試練の中にいる時は、目に見えての前進を感じられないかもしれない。苦難に耐え抜き、振り返った時、負けなかった日々の偉大さが分かるもの。苦労を豊かにする鍵は前向きな「忍耐」である。(城)
◎壇ノ浦の戦い(だんのうらのたたかい)は、平安時代の末期の元暦2年/寿永4年3月24日(1185年4月25日)に長門国赤間関壇ノ浦(現在の山口県下関市)で行われた戦闘。栄華を誇った平家が滅亡に至った治承・寿永の乱の最後の戦いである。
◎作曲の経緯
この歌は、フランス革命政府がオーストリアへ宣戦布告したという知らせがストラスブールに届いた1792年4月25日から翌26日の夜にかけて、市長フィリップ=フレデリク・ド・ディートリヒ男爵(Philippe Friedrich Dietrich)の要望で、当地に駐屯していた工兵大尉ルージェ・ド・リールが出征する部隊を鼓舞するために、一夜にして作詞作曲したというのが定説である。このとき付けられたタイトルは『ライン軍のための軍歌 (Chant de guerre pour l'armée du Rhin) 』 であった。リール大尉はこの曲を当時のライン方面軍司令官ニコラ・リュクネール元帥に献呈した。
◎李自成(り じせい)は、中国明末の農民反乱指導者。明に対して李自成の乱と呼ばれる反乱を起こして首都の北京を陥落させ、明を滅ぼした。順王朝(大順)を建国して皇帝を称したが、すぐに清に滅ぼされた。もとの名は鴻基。李継遷(西夏の初代皇帝李元昊の祖父)の末裔を称した。
◎崇禎帝(すうていてい)は、明朝第17代(最後)の皇帝。諱は由検(ゆうけん)。廟号ははじめは思宗、のちに改めて毅宗(以上は南明弘光帝による)、威宗(隆武帝による)、懐宗(清による)。諡号は弘光帝が紹天繹道剛明恪倹揆文奮武敦仁懋孝烈皇帝としたが、清が荘烈愍皇帝と改めた。また清は崇禎帝を明朝歴代皇帝と同じ北京昌平山に葬り、陵墓を「思陵」とした。
◎明(みん、1368年 - 1644年)は、中国の歴代王朝の一つである。明朝あるいは大明とも号した。
朱元璋が元を北へ逐って建国し、滅亡の後には清が明の再建を目指す南明政権を制圧して中国を支配した。
◎当時はフランス革命後の恐怖政治により、毎日何百人もの人が処刑されていた。そこで、内科医で国民議会議員だったジョゼフ・ギヨタンが、受刑者に無駄な苦痛を与えず、しかも全ての身分が同じ方法でできるような「単なる機械装置の作用」により行うよう議会で提言し、その案が採択された。
外科医のアントワヌ・ルイが設計の依頼を受けて、各地の断頭台を研究し、刃を斜めにする等の改良を加えた。このため当初は、ルイの名前をとって「ルイゼット(Louisette)」とか「ルイゾン(Louison)」と呼ばれていたが、この装置の人間性と平等性を大いに喧伝したギヨタンの方が有名になり、ギヨタンから名前をとった「ギヨチーヌ(Guillotine)」(ドイツ語読みで「ギロチン」)という呼び名が定着した。
フランスでは1981年9月に死刑が廃止され、それとともにギロチンの使用もなくなった。
【一年前】
◎朝
私「朝から娘にはヒヤッとして、奥さんにはドキドキせんなん」
妻「よかたい。昔は反対やったけん」
◎昼
妻へLINE「昼は帰って来れない??
さみしいけど?」
◎夕方
「わー昼はさみしかったわあ?
………て嘘たい。どげんでんよかよ。
わざ〜わざLINEせんでもよか。
また後ろめたいことしよらん?
かえって疑われなんたい」
?
【二年前】
◎小郡市・うきは市大勝利??
種まき27人。ちょっとでも関わらせてもらい良かったです。福運をまた付けさせて貰いました。
沖縄市長選も気になっていましたが、大勝利で良かったです?オール沖縄に完勝?
妻「今度は報告せんやったね」
私「報告する程のことはしとらん」
「えらい謙虚やんね、あんまり人間革命すると寿命の短くなるけんでけんよ」
娘「お父さん、レンジの中にチンしたのがそのままあったよ」
?
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開目抄
第十章 本朝に仏法伝来 0190.08〜0190.17
本文
日本・我朝には華厳等の六宗・天台・真言・已前にわたりけり、華厳・三論・法相・諍論水火なりけり、伝教大師・此の国にいでて六宗の邪見をやぶるのみならず真言宗が天台の法華経の理を盗み取て自宗の極とする事あらはれ・をはんぬ、伝教大師・宗宗の人師の異執をすてて専ら経文を前として責めさせ給しかば六宗の高徳・八人・十二人・十四人・三百余人・並に弘法大師等せめをとされて日本国.一人もなく天台宗に帰伏し南都・東寺.日本一州の山寺・皆叡山の末寺となりぬ、又漢土の諸宗の元祖の天台に帰伏して謗法の失を・まぬかれたる事もあらはれぬ、又其の後やうやく世をとろへ人の智あさく・なるほどに天台の深義は習うしないぬ、他宗の執心は強盛になるほどにやうやく六宗・七宗に天台宗をとされて・よわりゆくかの・ゆへに結句は六宗・七宗等にもをよばず、いうにかいなき禅宗・浄土宗にをとされて始めは檀那やうやくかの邪宗にうつる、結句は天台宗の碩徳と仰がる人人みな・をちゆきて彼の邪宗をたすく、さるほどに六宗・八宗の田畠.所領みなたをされ正法失せはてぬ天照太神・正八幡・山王等.諸の守護の諸大善神も法味を・なめざるか国中を去り給うかの故に悪鬼・便を得て国すでに破れなんとす。