◎寸鉄
大目的が確立すれば中目
的、小目的は明確―牧口
先生。誓願の炎を赤々と
◇
天才とは、まず苦悩を受
け止める先駆的な能力―
作家。青年よ挑戦王たれ
◇
消防記念日。可燃物整理
や火の元始末を再確認。
油断の火種絶ち無事故で
◎名字の言
「変わりはなかったかい?」
「人を内面から変えることができるのは、言葉だけなのです」
「言と云うは心の思いを響かして声を顕すを云うなり」
◎1910(明治43)年の第2インターナショナルのコペンハーゲン第7回大会で正式に制定。
1904(明治38)年のこの日、ニューヨークの女性労働者が参政権を求めて集会を開いた。
日本では1923(大正12)年、社会主義婦人団体・赤瀾会[せきらんかい]が中心となり、種蒔き社の後援で、東京・神田のキリスト教青年会館で婦人の政治的・社会的・経済的自由を訴える演説会が開催されたのが最初だった。
起源
20世紀以後
1904年3月8日にアメリカ合衆国のニューヨークで、女性労働者が婦人参政権を要求してデモを起こした。これを受けドイツの社会主義者クララ・ツェトキンが、1910年にデンマークのコペンハーゲンで行なわれた国際社会主義者会議で「女性の政治的自由と平等のためにたたかう」記念の日とするよう提唱したことから始まった。
国際女性デーにちなむ最大の事件は、第一次世界大戦中の1917年にロシア帝国で起こった二月革命であろう。国際女性デー(当時ロシアで使われていたユリウス暦では2月23日にあたる)に首都ペトログラードで行われた女性労働者を中心としたデモは、男性労働者、更には兵士を巻き込んだ大規模な蜂起となり、最終的には帝政を崩壊に追い込んだ。
◎2月革命(2がつかくめい、露: Февральская революция, 英: February Revolution)は、第一次世界大戦中のロシアで1917年に発生した革命運動である。ロマノフ朝による帝政(ロシア帝国)が崩壊し、数年間の革命と内戦を経てソビエト連邦の設立につながった。
【一年前】
◎ウクライナとハンガリー
(日本経済新聞2019.3.6)
Nihon Economy Newspaper
「民族間の結婚も多い。
There is also a lot of marriage between the race.
我々は融和している。
We harmonize.
政治家が対立を作り出している。
A politician is producing opposition. 」
☆日本と韓国も似ている。
Japan and Korea are also similar.
Ukr??jin??? to Hungary??
muzukashii ne.
Harasho! (素晴らしい)
Dabaidabai(ヤレヤレ)
Phrase!!(愛している)
?
??? prezident
Davay davaaaay! Na zdoroviye?????
Kiyoshi???
Daaaaaa hoshiiiiiii
【二年前】
◎生命の樹
家康「神仏がな、わしに仰せられた。今こそ生命の樹を見せてやろうぞと。そうじゃ、その大樹の途中の枝でな、いろいろな人に会うたぞ」
「――今川義元がいちばん下の枝にとまってふくろうのように耳を立てていた。それから織田信長公………これは五位鷺(ごいさぎ)のような姿であった。そうそう太閤もこの樹にとまっていたわ。痩せた鶴のような姿でな、わしの手をとってハラハラと涙をこぼされた。済まぬ済まぬと申しての………」
「――おお又右衛門か。そなたの父、石舟斎(せきしゅうさい)にも、その生命の樹で出会うたぞ」
「――はッ」
「そなたの父はな、武田信玄よりも上の枝にとまっていたぞ………そして、うやうやしくわしにこういった。大御所さまのおわす枝はもっと上でござりますとな。律儀な仁よ」
そこまでいって、再び家康は眼を閉じた。
「――生命の樹はな、その梢(こずえ)がお日さまに届いている。いってみれば、大地とお日さまの間にかけ渡された橋のようなもの………死なぬの、誰もみんな姿をかくして、この樹に戻ってゆくだけよ」
【徳川家康26巻p.410/500】
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開目抄 0186〜0237
親に孝養せねばならないことは、外典・内典ともに説かれている。しかし、儒教ではなぜ親に孝養するのかの究極も説かれず、その孝養の方法も、表面的・形式的な人生の行き方しか示していない。
仏法においては、親に物を与えたり、親の意に従うのは、外品・中品の低き孝養なりとし、真実の孝養の道は最高の仏法によって自身も人間革命し、また親にも最高の幸福を与えていくことであると説いているのである。しかも、永遠の生命感から、生きている親のみならず、死んだ親にまで、追善供養の原理によって、供養しうることを明かしている。
御書にいわく「法華経を持つ人は父と母との恩を報ずるなり、我が心には報ずると思はねども此の経の力にて報ずるなり」(1528-09)と。