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2020.3.5

2020年03月05日 (木) 01:02
2020.3.5

3月5日(木)

「壮年部結成記念日」
社会を照らす信念の太陽たれ

ミスコンの日
1908(明治41)年のこの日、時事新報社が全国から「良家の淑女」を対象に写真を募集し、その審査結果を公表した。これが日本初のミスコンテストとなった。

1等に選出されたのは小倉市長・末弘直方の四女・ヒロ子で、学習院女子部3年に在学中だった。彼女の兄が本人の承諾なしに応募したものだったが、コンテスト参加は学習院で大問題となり、彼女は退学処分になってしまった。

スチュワーデスの日
1931(昭和6)年のこの日、東京航空輸送が実施した日本初のスチュワーデス採用試験の結果が発表された。

「エアガール」という呼び名で募集され、2月5日に試験が行われた。140人の応募に対し、合格者は3人だった。

誕生日
1898年 - 周恩来、政治家、初代国務院総理(+ 1976年)


◎朝食???
目の前で妻は踊っている
♪元気で長生きピンピンコロリ??
♪元気で長生きピンピンコロリ??
「これで行かんと………逝くときはピンピンコロリ、これが一番いいとたい。あと20年後か30年後。こればっかりは誰にも分からん」


◎一般納税者に成り済まして携帯から?
「外国税額控除の『調整国外所得金額』とは?」
………中国で給与を貰い、源泉もあり、日本でも給料と退職金があり(ものすごい能力………同じ猿渡………もう27年前独立後初めての相続税申告)、国税庁のHPでも他のネットでも、利子や配当ばかりで給与はどこも載ってない。

大牟田税務署に電話をし「1」「1」国税局電話相談センターへ
(あ〜こうやって繋がるのかぁ………)
「え、それは難しいですね。折り返し電話しますので」
………
「やっぱりこれはサッとは答えられないみたいね」
………これに答えられる税理士はほとんどいなく、国税局の職員でも国際部の職員だけ………
回答に約2時間、大牟田税務署より携帯に電話?
「給与所得を、外国からの給与収入の、全部の給与収入で案分した金額でいいです」

     外国からの給与収入
給与所得×――――――――――――=『調整国外所得金額』
      全部の給与収入

「あ??そうですか。それでいいんですね。
それはありがとうございました」
「ならそういうことでお願いします」
「あの〜私、税理士なんです。(え?) 国税局の電話相談員もさせて貰っている者なんです。(え〜?) 一般納税者に成り済まして先ほど電話させて貰いました。??
これで一件出しますので?」
「そうなんですか」
「スミマセン」
????

☆最終的に、外国税額24万円に対し、「外国税額控除額」は2万円くらい。私の請求は「外国税額控除複雑案件」て5,000円。これをもし高いと言われるなら「来年から余所でして下さい。お父さんとは長い付き合いで良かったけど、息子は能力は高いけど苦労知らずのボンボンということ」。
妹「この方、頭がいいんですよ」
「俺の方が持ち応えられるか」

◎進捗率60%
申告期限延長でゆるっとなっているけど、今のところ申告件数は減っていない。

◎夕方6時過ぎには帰宅
妻「早かったね」
「うん、今日はどこにも出ずに、奥さんのそばにいる」
「それしかないとかい?ワンパターン。
それだけん全然モテんやったとね。他になんか考えたら?」
?

◎創大平安の庭の梅(万葉国際寮)
「日曜日、私もそこに行きました??」

◎晩酌???
妻は、弾丸の如く話しかけてくる??
「顔の真っ赤になっとるよ」
「奥さんの前と、酔った時と、綺麗な女性の前では赤くなる」
「前科いっぱいやけんね」 
?

◎わが胸中に「信念の太陽」を昇らせ、「題目の師子吼を朗々と唱えながら、今いる場所で、友を照らし、地域社会を照らし、職場を照らし、堂々と貢献していくことを、誉れの男子の本懐としてください」
「広宣流布が総仕上げに入った段階では、経験、年功、分別をもった壮年部の活躍が重要です」
「牧口先生が信心を始められたのは57歳です。戸田先生が出獄され、広宣流布にただ一人立たれたのは45歳です。いずれも、壮年時代に一大発心をされ、広宣流布の戦を起こされた。それが、わが学会の伝統です」
「頼みとなるのは皆さんです。壮年部が大きく成長し、堅固な広宣流布の構えができるならば、わが創価学会は永久に盤石です」


◎周 恩来(しゅう おんらい、1898年3月5日 - 1976年1月8日)は、中国の政治家。字は翔宇。中華人民共和国が建国された1949年10月1日以来、死去するまで一貫して政務院総理・国務院総理(首相)を務めた。共産党主席毛沢東の信任を繋ぎとめ、文化大革命中も失脚しなかったことなどから「不倒翁」(起き上がり小法師)の異名がある。1972年に、日本国首相の田中角栄(当時)と日中共同声明に調印したことでも知られている。


【一年前】
◎佐藤健
妻………
どうしてこんないい男がいるのか?
恵の旦那さんはこんな人だったらなあ?
良か〜〜〜………??
(と、左向いたら)
わ??お父さんやった???
がッパリきた?
?

【二年前】
◎事務所は4人休日出勤
「洋子さん、そのジーパンスタイル、
よー似合うよ?」
「いえいえ」
「と言うとセクハラか」
妹「そうですね」
「高口君が言うと問題ないけど、
俺がいうとセクハラか」(笑)

うちの事務所は、「中島」という同じ名前の女性が二人いますので、皆で下の名前で呼んでいます。




◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

開目抄 0186〜0237

次に師徳について述べれば、師徳とは眷属を指導しうる力、働きについていったものであることは、すでに述べた通りである。われわれが“師”ということからすぐに連想されるものは、小・中・高等学校の教師であり、大学の教授である。たしかに、これらの人々はある意味において、師の徳の一分を備えているといえよう。しかし、現代の教育者の多くが、あたかも知的労働者のごとくなりさがり、たんに知識の受け売りをしているにすぎないのは、まことに残念といわねばならない。昨今“人つくり”などということが、いわれるようになっているが、たんに表面的な呼びかけが、または、政府にとって都合のよい人物をつくるためのものであり、真に人生観、社会観を確立せしめ、人格を完成していこうとするものでないことは、明瞭である。


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