3月6日(金)
世界一周記念日
1967(昭和42)年のこの日、日本航空の世界一周西回り路線が営業を開始した。
それまでは日米航空協定により、日本の航空会社は世界一周路線を持てなかった。
1172年(承安2年2月10日) -
平清盛の娘である徳子が高倉天皇の中宮になる。
1853年 - ジュゼッペ・ヴェルディのオペラ『椿姫』初演。
☆ミラノ・スカラ座2020年日本公演
『トスカ』(全3幕)9月19日(土)15:00
東京文化会館(東京・上野)
『椿姫』(全3幕)9月20日(日)15:00
NHKホール(東京・渋谷)
………予習しとかなきゃ!
◎妹へ
「また金曜日と月曜日の分の昼食代2,000円ちょうだい?」
◎創業109年、銀座老舗 カフェ―パウリスタ
☆パウリスタオールド
………ジョン・レノンが飲んだコーヒーとのこと
☆森のコーヒー
2種類×7個ずつ事務所に届きました。?
「おーやっぱり美味しい?」
自宅でもお湯を注ぎ………
「やっぱり酷がある。違いが分かる」
妻「違いが分かる? それはどっかのコマーシャルやろ」
◎実務税法六法「法令編・通達編」
一度ゴミ箱に捨てたけど「やっば久しぶり買おうかね」
最近はネットですぐに検索できるからご無沙汰。
職員「最近結構使いますよ」
「やっぱりこれが基本だからね」
◎「就労証明書」
幼稚園に出さないといけないということで、4月1日より昨日採用決定したばかりのパートの女性。うちは子育てと仕事の両立は先輩女性職員がいっぱい?
◎一週間の読売新聞にやっと目を通す??
「クラスター連鎖」?
◎「琉球王朝は誰がつくったのか」
興味あり。アマゾン注文?
◎マッサージの予約時間通りに向かうけど………
「わらび餅」の“誘惑”に負けて10分遅れ
?
◎世界一周記念日は、1967年(昭和42年)3月6日に日本航空(JAL)による日本初の飛行機による世界一周線の営業が始まったことを記念して制定された記念日です。 日本航空(JAL)の世界一周線第一便は、この日の午後0時30分に羽田空港から飛び立ちました。2020/01/18
◎安徳天皇の母(国母)。父は平清盛、母は平時子。異母兄に重盛、基盛。同母兄弟に宗盛、知盛、重衡がいる。
清盛と後白河法皇の政治的協調のため、高倉天皇に入内して第一皇子・言仁親王(後の安徳天皇)を産む。安徳天皇の即位後は国母となるが、高倉上皇と清盛が相次いで没し、木曾義仲の攻撃により都を追われ、壇ノ浦の戦いで安徳天皇・時子は入水、平氏一門は滅亡する。徳子は生き残り京へ送還されて出家、大原寂光院で安徳天皇と一門の菩提を弔った。
『平家物語』「灌頂巻」では大原を訪れた後白河法皇に自らの人生を語り、全巻の幕引き役となっている。
◎中宮(ちゅうぐう)は、日本の天皇の妻たちの呼称の一つ。
概要
本来「中宮」という言葉の意味は「皇后の住居」である。転じて、そこに住む皇后その人を指して「中宮」と呼ぶ。もとは漢語で、中国でも同様の意味に用いられていた。
中宮の意味は時代によって異なる。
皇后・皇太后・太皇太后の総称。
皇太夫人の別称。
皇后の別称。
◎ 『椿姫』(つばきひめ)は、ジュゼッペ・ヴェルディが1853年に発表したオペラである。原題は『堕落した女(直訳は「道を踏み外した女」)』を意味するLa traviata(ラ・トラヴィアータ)。日本では原作小説『椿姫』と同じ「椿姫」(仏: La Dame aux camélias(椿の花の貴婦人)の意訳)のタイトルで上演されることが多い。
初演の大失敗
初演当時は娼婦を主役にした作品ということで、イタリアの統治国側の検閲により道徳的な観点から問題視されたが、ヒロインが最後に死ぬということで上演がゆるされたと言われる[1]。初演は1853年3月6日、ヴェネツィアのフェニーチェ劇場で行われた。しかし、準備不足(作品の完成から初演まで数週間しかなかった)などから、初演では聴衆からも批評家からもブーイングを浴び、歴史的大失敗を喫した(蝶々夫人、カルメンと共に有名オペラの3大失敗ということがある)。しかし、翌年の同地での再演では入念なリハーサルを重ねた結果、聴衆に受け入れられた。その後も上演を重ねる毎に人気を呼び、今日ではヴェルディの代表作とされるだけでなく、世界のオペラ劇場の中でも最も上演回数が多い作品の一つに数えられる。
【一年前】
☆電話合計 103件!!
百件超え??
これまでの最高。
今日は朝から昼からひっきりなし。
?
【二年前】
◎「霧の摩周湖」ならぬ『霧の大牟田』
妻「あ〜、今日は朝から福岡に行って、そのまま泊まり」
「そうよ」
「そらぁさみしかね」
「俺もさみしかけん」
「あら、返すようになったね?」
「返すもなんも……」
「ちびっと頭の柔らかくなったね」
「………映画の効果かな?」
?
【三年前】
もう長くはないと思われる地区内の88歳の多宝会のおじいちゃんを夫婦で面会に。
「杉野さ〜ん杉野さ〜ん」
寝てありましたけど、目がわずかに動いたような……。
息子夫婦は私の言い出しっぺで再婚同士。
嫁さんは熊本城の近くで支部婦人部長。
うちの奥さんと短大からの親友。
今世で最後の声かけかな、……?
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
開目抄 0186〜0237
真の人の師たるものは、子弟に、知識を与えるのは当然のこと、さらに智慧を顕現させるものでなければならない。知識は、智慧を開く門である。知識を広く、かつ深く身につけることは、人生にうるおいと豊かさをもたらす。健康に対する知識、法律に対する知識、また政治に対する知識等、それがどれほど生活の向上にとって必要か、また無知のために、どんなに民衆が苦しめられたか等々、知識の重要なることは、論ずるまでもない。
だが、知識は、智慧それ自体ではない。知識人必ずしも人生の智慧者でないことからも、この事実は明確である。知識を生かし、幸福を招くのも、それを悪用し、不幸をもたらすのも、人間の生命より顕現する智慧の働きによるのである。
御書にいわく「玄義の五に云く恵能く惑を破し理を顕す.理は惑を破すこと能わず、理若し惑を破せば一切衆生.悉く理性を具す何が故ぞ破せざる、若し此の恵を得れば則ち能く惑を破す故に智を用つて乗体と為す」(0689−18)
所詮、いかなる苦難をも打ち破り、堂々たる人生行路を闊歩しゆく本源は智慧である。現代の教育が、欠陥を露呈しているのは、実にこの点に留意することなく、知識のための知識に終始しているからである。進学試験、就職試験のための詰め込み主義、肩書を取得するための教育等々、まさに、師徳なき、あわれな教育といわざるを得ない。
しかして、真に、人々に本源的な智慧を与え切れるものは正法しかないのである。いっさいの知識は、正法の智慧によって、人生に、社会に最高に生かされていくのである。われわれは、仏法哲学の神髄であり、かつ最高峰たる三大秘法の大御本尊を信じ、以信代慧の原理により、人生に正しき眼が開かれ、時代の潮流をも見抜き、さらには一国の行く手、世界の平和をも築いていけるのである。これ大聖人が、そして大御本尊が師徳の究極であるゆえんなのである。