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2020.1.26

2020年01月26日 (日) 01:08
2020.1.26

1月26日(日)
SGIの日
1975(昭和50)年のこの日、世界51か国・地域158人のメンバーがグアムに集まって創価学会の世界平和会議が開かれました。

939年(天慶2年12月15日) -
平将門が上野国の国衙を倒し上野国・下野国を制圧する。

1699年 -
オスマン帝国とヨーロッパ諸国がカルロヴィッツ条約を締結。オスマン帝国が初めてヨーロッパ諸国に領土を割譲。

1924年 - 皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)と良子女王(後の香淳皇后)が結婚。


◎ロマンスドール1.25
Romance Doll?PG-12?(本編:123分)
Tジョイ博多10:35〜12:45

10年の、嘘と秘密と、ほんとの愛。
変わりゆく男女の感情をリアルに映し出す、美しく儚い、大人のラブストーリー

☆高橋一生と蒼井優のベッドシーンはなかなか良かったけど、若い夫婦の設定ということで、大阪にいるうちの息子夫婦も、
「こげんしてセックスはしよっとかね??
子づくり(孫づくり)はちゃんとしよっとかね?」
という目で見ておりました?
??

妻に言えばたぶん「余計なこったい」

◎「八甲田山」(北斗七星)
秋吉久美子に敬礼するシーン
「案内人殿に、頭、右?」
よく覚えている、印象的なシーンです?
        
         
◎13:43妻よりLINE
「大聖堂の御本尊様の前に座り真ん中の一番いい席です」

「ちょうどその時間に今ぐらいかなとおもって題目あげていた?」

「有難うね????」

私は飲んで夜中0時前に帰宅して、お風呂を沸かして待機。

0:35妻と娘、自宅着。


◎寸鉄
大阪事件の無罪判決の日
正しい仏法が必ず勝つ!
君よ不屈の魂継承し進め
     ◇
関西婦人部の日。常勝の
母ありて創価の城は盤石
模範の前進、拡大今こそ
     ◇
「信心するは随喜なり」
御書。生き生きと体験を
語ろう。歓喜は友に伝播

 
◎その席上、各国の創価学会の連合体であるSGI(創価学会インタナショナル)が結成されたのです。そして、 池田大作先生がSGI会長に就任し、ここに「平和」「文化」「教育」の旗を掲げたSGIの記念すべき第一歩が印されました。

池田先生は、第三代会長に就任した1960(昭和35)年の10月、25日間の北・南米指導の旅に出ました。翌61年1月には、インド、東南アジアへ。そして秋にはヨーロッパ指導に赴き、62年1月には中近東にも行きました。
こうした海外指導の積み重ねによって生まれたのがSGIでした。

「全世界に平和の種を」
世界平和会議の、席上池田先生は、「全世界に妙法という平和の種をまいて、その尊い一生を終わってください。私もそうします」と呼びかけました。
この池田先生のスピーチに、万雷の拍手が鳴り響きました。“全世界に妙法という平和の種をまく”。この先生の誓いこそ、仏法の人間主義を広げゆくSGIの原点となったのです。

◎平 将門(たいら の まさかど、-將門)
平安時代中期の関東の豪族。

国衙(こくが)は、日本の律令制において国司が地方政治を遂行した役所が置かれていた区画である。

◎カルロヴィッツ条約(カルロヴィッツじょうやく、ロシア語 Карловицкий мир)は、1699年にオスマン帝国とヨーロッパ諸国との間に結ばれた講和条約。この条約で、オスマン帝国は初めてヨーロッパ諸国に領土を割譲し、オーストリアは三十年戦争以来の長期の低迷を脱して中ヨーロッパへの拡大を開始する契機を得た。

【一年前】
父は一人で寂しいでしょう
ならどこかで会う?
11:00 中山公园7号口?

【二年前】
◎46回目4か月ぶりの上海
聖教新聞には先生の初訪中のことが!!

【三年前】
「わー所長さん…よか男になってえ♪」
「今年も浮気もせず…よーいらしていただきましたねえ♪」
(*^▽^)/★*☆♪

毎年柳川から来られる海苔屋さんとの会話です。いつも4人勢揃いで来られます。もう今年で26年目になります。

今年5月10日で独立開業満25周年を迎えます。最初からのお客さんも沢山いらっしゃいます。浮気もせず、遠くから来られると本当にありがたいです。



◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

開目抄 0186〜0237

この開目抄は、じつにこうした、想像を絶する不自由と、しかも大聖人の命をつけねらう邪宗の信者たちの真っただなかにおいて、お弟子日興上人、信者となった阿仏房等のかろうじて手に入れてご供養申しあげた紙や筆によってしたためられた、まことにもったいなき御書であることを知るべきである。

 しかも、そうした苦境にあってすら「日蓮が仏にならん第一のかたうどは景信・法師には良観・道隆・道阿弥陀仏と平左衛門尉・守殿ましまさずんば争か法華経の行者とはなるべきと悦ぶ」(0917-07)と申されているのである。 

 竜の口での光りものといい、依智での不思議といい、また、佐渡の極寒の中で、ひたすら民衆救済のために重要の法門をしるされたことといい、御本仏大聖人の大慈大悲に、だれが感泣しないであろうか。そして、末法真実の主師親たることを宣言あそばされた本抄を、拝読するにあたっては、ただ熱烈なる信心、求めてやまぬ求道心をたぎらせて深くその奥義を拝すべきことを訴えてやまない。

 なお、末法人本尊の開顕たる本抄についで、観心本尊抄をあらわされて法本尊を開顕され、その他、諸法実相抄、如説修行抄、顕仏未来記、当体義抄等々、重要御抄の数々をおしたためになったこと、また文永11年(1274)2月赦免となり、あわてふためく邪宗の僧らをあとに順風を帆をうけて鎌倉をお帰りになったことは略す。


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