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2020.1.15

2020年01月15日 (水) 00:14
2020.1.15

1月15日(火)

小正月
7日までの松の内を「大正月」と呼ぶのに対し、15日を「小正月」と言う。
松の内に忙しく働いた主婦をねぎらう意味で、「女正月」という地方もある。

1493年 -
クリストファー・コロンブスの最初の航海で、スペインへ向けイスパニョーラ島を出航。

1890年 -
チャイコフスキーのバレエ『眠れる森の美女』が初演される。

1974年 - 西沙諸島の戦い
               
                   
◎朝起きたら
娘「お父さん、はい、ハグ………
お父さん、お母さんと私、24.25は大誓堂で東京に行くから、その間は自由奔放に遊んでいいよ、ロシアの彼女とも?」
妻「アハハハハ( ^-^)ノ∠※。.:*:・'°☆ なんも言えねえ」
「朝からいきなりやん」
?

◎職員5名全員に大同生命
死亡500万円、事故又は病気による入院1日5,000円
5年契約、保険料5名で月15,128円
妹の既契約(入院1日6,000円)を含めて月18,000円
告知に問題がある3名は医師を連れてきて健康診断

☆やっとこういうことが出来るようになった?

◎75歳以上の医療費
「1人あたり医療費ランキング」
なんと大牟田市が全国第3位とのこと??
1人あたり医療費年間124万4038円?
増加額11万2025円
病床が多いほど高額。

たしか人口あたりの病院数は大牟田市はかつて全国一位の時があったが、今でも相当に多い。
「ゆめタウンなんかもうお年寄りばっかりやん」

◎歴史人口学者エマニュエル・ドット氏(読売1/12)
14億に迫る人口大国の中国は、並外れた超大国に変容するのか。私はそうは思わない。中国人の出生率は低下し続け、高齢化は加速し、中国人は裕福になる前に老いてしまう。一方で、経済成長に陰りが出ている。輸出に依存する経済は危うさをはらむ。中国に科学技術ブームが訪れるとも思えない。軍事技術は当分、ロシア頼みではないか。

世界の科学技術2大国は当分、米国と日本です。

日本の最も深刻な問題は人口減少です。日本人は日本人どうしでいることに安心するようですが、移民の本格的受け入れは不可避だと覚悟すべきです。肝要なことは、移民を賢く、上手に管理することです。

◎博多・万葉の湯??
福岡国税局電話相談員事前研修会
(15日(水)am9:30~12:30)
のため博多に前泊しております。


◎寸鉄
折伏をする人は学会の宝
の中の宝だ―戸田先生。
後継の青年よ勇み挑戦を


◎小正月(こしょうがつ)とは、正月15日[1][2]の行事である。または、14日から16日までの3日間[1]、または、14日の日没から15日の日没まで[3]、または、望(満月)の日、または、元日から15日までの15日間ともされる。

本来旧暦だが、明治の改暦後は新暦1月15日、もしくは、2000年からは成人の日(1月第2月曜日)に行われる場合もある。

元日(または元日から1月7日まで)を大正月と呼ぶのに対してこのように呼ぶ。正月(字義通りには月末まで)の終わりとも位置づけられる[3]。小年(こどし)、二番正月、若年、女正月(おんなしょうがつ)、花正月[1]。返り正月、戻り正月と呼ぶ地方もある[1]。

◎西沙諸島の戦い(せいさしょとうのたたかい、ベトナム語: H?i chi?n Hoàng Sa 1974 / 海戰?沙1974?)は、1974年1月に、西沙諸島(パラセル諸島)の領有権を巡って中華人民共和国とベトナム共和国(以下、南ベトナム)が交戦した武力衝突である。海戦により中国艦隊が南ベトナム軍艦1隻を撃沈し、南ベトナムが支配していた島嶼に部隊を上陸させて占領した。別名として永楽紛争、あるいは海戦部分のみを取り上げて西沙海戦とも呼ぶ。中国側の呼称は西沙群島自衛反撃作戦[1]。


【一年前】
◎朝、妻は久しぶりに起きている。
「大誓堂しっかり地区の勝利を祈ってきて」
「何より奥さんの頑健を祈ってくるよ」
「私の事より地区の事を祈ってきて」
「奥さんが頑健でないとどうしようもないから、地区も我が家も」
「よー言うよ」
「そうたい?すべての戦いが止まる?」

「やっぱり鍛え方の足らんごたるね」?
娘「お父さん、よー言うね?元々今回はお父さんから感染(うつ)ったんだけんね」?
妻「そうよ?何が鍛え方の足らんね?よー言うよ」?
家族炎上????

今日は飛行機から日本列島絶景日和?
瀬戸内海…淡路島…関西空港…大阪の街並み…奈良盆地…中部国際空港…浜松…相模湾…房総半島…そして羽田空港。
日本の島々は本当に綺麗?
こんな綺麗な絶景に触れると、この出張は仕事ではないけれど、“諸天善神”に“祝福”されているなあ?と感じます。
?

【二年前】
◎幹部挨拶
今日のお昼、ご夫婦で入会。
「いい時も悪い時もずっと私たちを励まして下さいました」
大牟田税務署に勤められているご夫婦との事。
求めている方が私たちの回りにはまだまだ沢山いらっしゃる。
「創価学会の私を見よ?」

??

ジムから帰って妻に−−
「『創価学会の私を見よ?』
………と言いたいけど、まだ言えんなあ
………あんたを見ればなんでえ?」
妻「もう少し人間革命せんなんたい」
?

【三年前】
◎今日は、足立区10、荒川区10、豊島区10、合わせて30人に電話しOkを貰いました。
超重点各区10人×7区=70人!
それとは別にちょうど10%の7人ほどははっきりと断られました。
「公明党は大嫌いですから」
「興味ありません」
「意味がわかりません」
ーーあ、「二乗不作仏」!可哀想?

足立区の税理士先生ーー
「先日も会いましたよ。山口那津男さんとも税政連でいつも親しくさせて貰ってますよ」
私「それはありがとうございます!足立区は定数6なのに公明党2人も出しているものですから」
「足立区は公明党強いですから大丈夫ですよ」と心強い反応でした。
ーー反応で福運が分かります!

自己紹介状の葉書も作りました。
70人分のカード作成の方が大変です!?

◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

開目抄 0186〜0237

序講

(一)本抄御述作の由来

一、対告衆と御正筆

 本抄は、日蓮大聖人が佐渡御流罪中、文永9年(1272)2月、聖寿51歳の時の御著作で、四条中務三郎左衛門尉頼基に与えられた。

 すなわち、種種御振舞御書に「去年の十一月より勘えたる開目抄と申す文二巻造りたり、頚切るるならば日蓮が不思議とどめんと思いて勘えたり……かやうに書き付けて中務三郎左衛門尉が使にとらせぬ」(0919-02)と。

 また文永9年(1272)4月、佐渡の一の谷から贈られた富木殿御返事に「法門の事先度四条三郎左衛門尉殿に書持せしむ其の書能く能く御覧有る可し」(0962-04)とある。

 開目抄は信読の書である。堀日亨上人は、

「佐渡御流罪中、筆舌に尽くせぬ大法難の最中、深縁の門下に、筆紙ご窮乏のなかから、遺言的にしたためられた重書であるから、信読、身読にあらざれば、奥旨に達することができぬ」と述べている。

☆いよいよ今日から『開目抄』??………目を開け??


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