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2019.12.26-2

2019年12月26日 (木) 03:00
2019.12.26

◎マーガレット・オブ・イングランド(Margaret of England, 1240年9月29日 - 1275年2月26日)は、スコットランド王アレグザンダー3世の王妃。イングランド王ヘンリー3世と王妃エレノアの長女。アレグザンダー3世の父アレグザンダー2世の最初の王妃ジョーンは叔母、ブラバント公ジャン2世妃マーガレットは姪に当たる。


◎なぜ、12月26日はプロ野球誕生の日?
1934年の12月26日に日本初のプロ野球チーム「大日本東京野球倶楽部」が設立されました。
のちの読売巨人軍となるチームです。当時、読売新聞社社長の正力松太郎は、アメリカのメジャーリーグ選抜軍を日本へ招待することに注力しました。

しかし、一つ大きな問題が発生したのです。当時の日本の野球といえば、大学野球が全盛でした。
ですが、当時の文部省が発令した野球統制訓令により、外国チームと大学チームが対戦することはほぼ不可能に。
そのため、日本にもプロチームを発足させることになったのです。

1934年11月2日に野球の神様といわれるベーブ・ルースら、アメリカ選抜が来日。
そのチームとの対戦に感化され、1934年12月26日に正式に日本初のプロ野球チームの歴史が始まったのです。

◎アメリカ遠征でチーム名が「ジャイアンツ」に決まる
ベーブ・ルースらが来日した翌年、今度は日本チームがアメリカ遠征を実現させました。
現地のマイナーチームとの対戦を重ね、アメリカの人々からの人気も上々でした。
しかし、ネックだったのはそのチーム名でした。そのチーム名といったら「大日本東京野球倶楽部」。
長すぎてなかなか覚えにくいチーム名であることは一目瞭然です。

そこで、アメリカ遠征の際に、チームのニックネームも考えられました。
アメリカ現地でこのチームの顧問であったフランク・オドゥールが、ニューヨークジャイアンツに在籍していたことから「ジャイアンツ」のニックネームがつけられたのです。
読売巨人軍の「巨人軍」はそのジャイアンツを日本語にしたものです。由来を知ると、野球の歴史が見えてきますね。

もしも、ベーブ・ルースが日本に来ていなかったら……、日本がアメリカに行っていなかったら……、
12月26日にプロ野球は誕生していないかもしれません。
野球界のみならず、日本のプロスポーツ界にとっても12月26日は大事な一日といえそうです。

【一年前】
◎年賀状
とりあえず196枚
月次関与先・取引先・友人

年賀状に下手な川柳を2首

皆様と 一歩前進の いい笑顔

大勝利 しもの六太と いい夫婦
??

【二年前】
◎奥原信十郎豊政
(何もかも燃え尽くせばかえってせいせいするであろうに)

「旦那さま、奥原の………旦那さまで」

「誰だ。出て参れ」
「はい。壮三郎でござります。御台所(千姫)さまは、無事に茶臼山のご陣所へ向かわれてござりまする。はい」

【徳川家康25巻】

◎妻「レコード大賞は誰になると思う?」
「知らん。全く興味なし」
「頭の固か―?年と共に固くなりよろ?」
「そうかね。むしろ柔らかくなりよると思うけど」
「いやいや」
『波浪は障害に遭うごとに、その頑固の度を増す』
?

私「夜、STAR WARSを観て来ようかな?」
妻「頭の固かけんちょうど良かかもしれんたい」
?

◎妻「恵太(息子)のことは全然気にしとらんごたるね」
「いや、毎日祈っているよ」
「何も言わんやんね」
「毎日題目送りよるよ」
「何て送りよる?」
「勇気?自分の課題に挑む勇気?」
「そうね」
「俺と違って『モテ男、力も金もなかりけり』とならんごつ」
「ならん?」
?

◎『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』
(スター・ウォーズ/さいごのジェダイ、
原題:Star Wars: The Last Jedi)は、
2017年公開のアメリカ映画。

【三年前】
クリスマスイブ?
今日はお客さん兼地区の人と、妹と3人で大牟田で忘年会でした。


◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

強仁状御返事 0184〜0185
第二章 自他叛逼二難の予言と逢難を述べる 
0184.05〜0185.02

現代語訳

 強仁上人から送られた十月二十五日の論難の書状は、同十二月二十六日に到着した。この法論のことは、日蓮も多年の間、しばしば鬱憤を訴えてきたことであるから、早速に返事を書いて貴殿や世の中の人々の疑問を冰解したいと思う。しかし、田舎で仏法の邪正を決しても、錦を着て闇の中を遊行するようなものであり、長い松でも谷底にあっては良匠に知られないのと同じである。

 併せてまた、こうした個人の法論は、喧嘩の起こる原因ともなる。御坊が法論の本意を遂げようと思われるのであれば、朝廷と幕府とに訴え出て、公の命を申し受けて法の是非を糾明しよう。そうすれば上一人も喜ばれ、下万民も疑いが晴れることだろう。

 そのうえ、教主釈尊は仏法の弘通を国王や王臣に付属された。世間一般の善悪や仏法の邪正を決断することは、必ず公場ですべきである。


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