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2019.12.21

2019年12月21日 (土) 09:59
2019.12.21

12月21日(土)

1185年(文治元年11月28日) -
文治の勅許。朝廷が源頼朝に対し諸国への守護・地頭の設置・任免を許可。

1912年 -
日本で桂太郎が第15代内閣総理大臣に就任し、第3次桂内閣が発足。

1963年 -
義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律公布。
           
              
30年来の税理士仲間4人「大栄会」の忘年会。
可愛いママともたくさんラブラブさせて貰いました。
???
ママのお母さんもいて、中学の同級生、女番長??
帰ったらそのままこたつに寝ていました。
奥さん「飲み過ぎた?? お酒ももう弱くなったよ。
今夜もやろ、飲むのはほどほどにせんなら」
………
奥さんが目の前に居ながら決して見せられない写真を編集しております。ショットバーの写真だけ「ほら」。
??
              
                
◎アメリカ大統領弾劾訴追
アメリカの野党・民主党も相当に議員の品質が落ちてきているということのようだ。逆にトランプの支持率が上がっている。バカみたい。“左翼ポピュリズム”。
日本の野党も自分達を見ているようだろう。
「ドラマが欠落した弾劾手続き」(ワシントン・ポスト紙)
             
                
◎寸鉄
「仏の如く互に敬うべし」
御書。広布の同志は生涯
の宝。共々に励まし前進

◎名字の言 桜島の友の“歓喜の行進”
ベートーベンの「第九」が列島の各地で響いている。「いく百万の人々よ、互いに抱き合おう!」(シラー原詩、大木正純訳)との“歓喜の歌”の大合唱は圧巻だ

▼人間が連帯し、心を結べば、どれほど偉大な力を発揮できるか――聴くほどに、歌うほどに、楽聖の魂の叫びが伝わってくる

▼鹿児島県の桜島の友が“歓喜の行進”を続けている。1958年、同島を訪れた池田先生が「幸福の島に」と弘教の灯をともし、初めて学会員が誕生した。周囲の無理解に負けず、同志は懸命に地域に尽くした。「日本一幸せな島にして、先生にお応えしよう」。それが皆の合言葉だった

▼全島(約1800世帯)へ対話を広げ、2割以上が本紙購読を経験。学会主催の展示には島民の3割(約1600人)を招待した。同志が集えば笑いが絶えない。多宝の友が「皆で励まし合えば30歳は若返る!」と語れば、大病を克服した友は「立ち止まらず、祈って動いたら病気が止まった!」と。一人一人が地域の要の存在だ

▼同島のみならず、今、創価の“歓喜の行進”は世界中に広がった。「第九」の歌詞にこうある。「走れ、兄弟たちよ、なんじの道を/英雄が勝利に赴くように、喜ばしく」(同訳)。さあ、新たな決意の出発を。「皆が前進、皆が人材」だ。(誠)

◎文治の勅許(ぶんじのちょっきょ)
文治元年11月28日(1185年12月21日)の北条時政による奏請に基づき、朝廷より源頼朝に対し与えられた、諸国への守護・地頭職の設置・任免を許可した勅許のことである。

ちょっ‐きょ〔チヨク‐〕【勅許】
天皇の許可。勅命による許可。「勅許を仰ぐ」

◎第3次桂内閣(だいさんじ かつらないかく)
元老・内大臣兼侍従長の桂太郎が第15代内閣総理大臣に任命され、1912年(大正元年)12月21日から1913年(大正2年)2月20日まで続いた日本の内閣である。 在任期間は62日間で、東久邇宮内閣(54日間)に次いで史上第2位の短命内閣であるが、第1次と第2次を含めた場合、100年以上にわたって歴代内閣史上最長の在任期間であった。


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