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2019.12.13

2019年12月13日 (金) 00:03
2019.12.13

12月13日(金)

正月事始め,煤払い,松迎え
年神様を迎える準備を始める。
昔はこの日に、門松やお雑煮を炊くための薪等、お正月に必要な木を山へ取りに行った。

1931年 - 犬養内閣の初閣議で日本の金輸出再禁止を決定。金本位制から管理通貨制度に移行。

1937年 - 日中戦争: 日本軍が南京を陥落させ、南京攻略戦が終結。翌12月14日より6週間、残敵掃討作戦。この一端として南京事件が発生したと言われているが、現在も論争になっている。(南京事件論争)

☆南京大虐殺記念館………一度行きました。
上海から新幹線で約一時間。
中国人から言われました。
「あなたは勇気がある」
私「中国で仕事する日本人として当然です」
「南京駅からタクシーに乗ったら決して日本人と言ったらダメですよ」
修学旅行生がいっぱい。
入ってすぐに『300、000人』
これにはちょっと違和感。
            
            
◎朝食してたら
妻「昨日は嬉しかった。恵太が題目あげるようになって。
ちゃんとお嫁さんが押してくれよらす。
恵太はなんも言わんけど………ありがたかよ。
ばあちゃんを大事にしてきたから、姑になってもちゃ〜んとお嫁さんから守られる」
???

◎FBコメント返信
確かにそうですね。改憲すれば東アジアからの脅威を阻止できるみたいな安倍さんも含めて保守派の論調ですね。
『時代に合わせて加憲する』がどれだけ日本の境涯が上がるか?

◎「安倍長期政権は持続可能か」(大機小機)
「安部首相は憲法改正に意欲を燃やすが、有権者の関心は別のところにあるはずだ」

☆最近は日経は波長が合う??
西日本は相変わらず?
           
                 
◎「抗生物質 風邪には不要」(読売)
??なぜ医師は処方するのか
一、医師の知識不足
「抗菌薬が風邪の重症化や最近への二次感染を防ぐ」とされた時代もあったが、2005年、日本外来小児科学会が、海外の複数の研究結果を引用して否定している。………依然として古い情報に基づいている医師は少なくない。
二、日々の診療で医師と患者が誤った認識を刷り込まれる
市販の総合感冒薬を飲んで4日もたっても治らないため、かかりつけ医で抗菌薬を処方されほどなくして症状が消えた――。
患者は「抗菌薬が効いた」
そのうち医師も
「少しは効果があるのでは」
「効かなくても患者が納得するなら処方すればいい」
――「薬の無駄」ではない。不要な抗菌薬を使うと、体内にいる細菌が『耐性』を持ち、抗菌薬が効かない『薬剤耐性菌』が出現する?? 
本当に抗菌薬が必要な重症患者に、有効な治療法がなくなっていまうのだ?
「そもそも風邪は薬を飲まなくても自然に治る病気。患者側も医師にむやみに抗菌薬の処方を求めないで」

☆ある時、ちょっと風邪を引いて医師の処方薬を飲んだら、体のあらゆる機能がダウン?その薬をネットで調べたら「抗生物質」。………次の時「この前の抗生物質は酷かったですよ」

最近は風邪を引いた時は医師に「抗生物質は使わないで下さい」と言います。
医師は「なら抗生物質を処方しときますね」と言いかけて私がそう言いますので「あ、そうですか。抗生物質はしない。………なら、はいわかりました。なら漢方薬を処方しときますね」
              
               
◎江戸時代中期まで使われていた宣明暦では、旧暦の12月13日の二十八宿は必ず「鬼」になっており、鬼の日は婚礼以外は全てのことに吉とされているので、正月の年神様を向かえるのに良いとして、この日が選ばれた。その後の暦では日附と二十八宿とは一致しなくなったが、正月事始めの日附は12月13日のままとなった。

煤払い【すすはらい】
煤掃きとも。新年を迎える準備として行う歳末の大掃除。江戸時代には江戸城をはじめとして12月13日が煤掃きと定められていた。年神祭の準備という信仰的な意味もあった。

◎南京事件論争
日中戦争(支那事変)中の1937年(昭和12年)12月に遂行された南京戦において発生したとされる南京事件における虐殺の存否や規模などを論点とした論争である。論争は日中関係を背景に政治的な影響を受け続けた。

◎金解禁(きんかいきん)、あるいは、金輸出解禁(きんゆしゅつかいきん)とは、金貨及び金地金の輸出許可制を廃止して金本位制に復帰すること。あるいは、流通貨幣(略称:通貨)の発行国が、本位貨幣(正貨)に戻ること。

金本位制(きんほんいせい、英語: gold standard)とは、一国の貨幣価値(交換価値)を金に裏付けられた形で金額を表すものであり、商品の価格も金の価値を標準として表示される。この場合、その国の通貨は一定量の金の重さで表すことができ、これを法定金平価という[1] 。大不況 (1873年-1896年) 期に採用が進み、20世紀には国際決済銀行とブレトンウッズ体制の礎となった。

管理通貨制度(かんりつうかせいど)とは、通貨の発行量を通貨当局が調節することで、物価の安定、経済成長、雇用の改善、国際収支の安定などを図る制度。本位制度に対していう。

管理通貨制度のもとでは通貨当局は金保有量にかかわらず通貨供給量を増減させることが出来るので、第二次世界大戦後から情報革命を背景に電子記録としての預金通貨を止め処なく増やしている。右図のような通貨供給量の増加は世界的な傾向である。
               
                 
【一年前】
●日本政策金融公庫
若い女性担当者が来所
「菊川怜に似てありますね?」
「わ、初めて言われました」

私「すぐセクハラなこと言うけんでけんもんね」
職員「さすがですね」
「そりぁもう、借らんなんけんね」
?

【二年前】
●ジャガーにお別れ?
ETCカード、音楽CD等を取り出して、6年間乗ったジャガーとお別れ?選挙でもあっちこっちと活躍してくれました。
「本当にありがとう、お疲れ様でした?」
ちょっとセンチメンタルになりました。
?
            
                 
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

第二章 平左衛門尉に国を安ぜよと諌める 0183.08〜0184終り

現代語訳

 さて、未萠を知る者は、六正の聖臣である。法華経を弘める者は、諸仏の使者である。しかるに日蓮は、かたじけなくも法華経・涅槃経の文を聞いて、仏の本意を覚った。そればかりか日本国の将来を勘がえたところ、それがほぼ符合している。これは先哲に及ばないと雖も、後人には希な者である。

 法を知り、日本国を思う志は、もっとも賞されるべきところであるのに、邪法・邪教の輩が讒奏・讒言するので、久しい間、大忠を懐いていても、末だ小さな望みも達することができないでいるのである。そればかりか、一昨日の不快の見参においては、国を救うことはひとえに難治の次第であると、憂えた次第である。

 伏して思えば、泰山に登らなければ、天の高いことが分からない。深い谷に入らなければ、地の厚いことが分からない。よって、我が志を承知してもらうために、立正安国論一巻を進覧する次第である。この書に勘え載せたところの文は、九牛の一毛であり、末だ微志を尽くしていない。

 そもそも貴殿は、当今の天下の棟梁である。その人がどうして国中の良材を損するのか。早く賢明な考えをめぐらして、異敵の蒙古を退治すべきである。世を安んじ、国を安んずるのが忠であり、孝である。

 これは偏に我が一身のために申すのではなく、君のため、仏のため、神のため、一切衆生のために、申し上げるのである。恐恐謹言。

       文永八年九月十二日                     日蓮花 押

     謹上 平左衛門殿


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