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2019.9.21-2

2019年09月21日 (土) 01:44
2019.9.21-

◎ブロック座談会………私の御書講義
そやきょうしん
ときじょうにん、おおたじょうみょうらと共に、
下総の国・千葉県北部等の門下の中心者の一人。
たつのくちの法難の直後に書かれた「転重軽受法門」のたいごうしゅうの一人もそや殿でした。
佐渡で著された「観心本尊抄」でも送り先の一人として名前が記されている。

「忠言耳に逆う」
幕府の権力者や高僧
たつのくちの法難
歴史上「吾妻」にも源頼朝が自身の無実を訴えた
こしごえじょうという書状にも出てきます。

☆私にとって一番「忠言耳に逆う」のは妻の一言?
?
忠言耳に逆らったからこそ精神病院に流罪………
???

誰人も比較にならない大難に次ぐ大難。
その中で、悠然と
「いまだこりず候」
まだまだ戦う
「天滴岩をも砕く」

「法華経は種の如く仏は植え手の如く衆生は田の如くなり」
法華経………妙法は仏種

ポイントは三点
?妙法は万人を仏にする根元の仏種である、ということ。
私たちが受持する妙法がどれほど偉大な大法であるか。
この一点に自分自身の一生成仏も、信心の偉大な功力も、福徳も歓喜も勝利も、全てが収まっています。
法華経自信が、
「もし法を聞くことあらば一人として成仏せざることなけん」
一切の衆生が成仏する根元の法であり、それ故に仏の種なのです。この仏種に直接縁する故に誰人であれ必ず成仏するのです。

?対話こそ仏性を触発する尊い実践である、ということです。
御書には「仏種は縁によって起る是の故に一乗を説く」
衆生がその仏の性分を開いていくには、縁が不可欠だと言われます。
大聖人も「他人と違い多くの人と会ってきた」
会うこと、語ることが下種となり、大きく仏縁を広げている。自身の人間革命と広宣流布に通ずる。

?どんな困難にも負けず、勇気の拡大に挑み続けていこう。
「いまだこりず候」
この一言にはいかなる困難や迫害があっても、一歩も引かず、断じて一切衆生を救い切っていく、との御本仏の大慈悲がほとばしっています。
戸田先生も池田先生も
「これこそ学会精神である」
大聖人は生涯、広宣流布の炎の旗を掲げ抜く誇りを、御書の随所で記されています。
「よしにくまばにくめ」
「今に至るまで軍(いくさ)やむ事なし」
「日蓮一度もしりぞく心なし」

池田先生は随筆で
「いまだこりず候」
と、地域の中で、広宣流布に挑み抜いていく不屈の精神を、
次のように述べられています。
「どうすれば地域に正義を打ち立て、信頼と友情の花園を広げていけるのか、咲くではない。根本は祈りである。忍耐つよい行動である。………問うべきは、環境でなく、自分自身の心だ」

「岩に爪を立てて、崖を登るような挑戦のきびしさ、試されているのは、実は自分の執念の方ではないだろうか………」

池田先生は三年前次のようなメッセージを送ってくださいました。
「闘諍言訟の末法であるゆえに、次代は乱れ、濁っている。荒れ果てた衆生の「心の大地」を蘇生させることができるのは、大聖人の正当の我らしかいません。いよいよ「いまだこりず候」と、祷りに祷り、動きにうごき、語りにかたり、「妙法の種」を蒔いて、身近な地域社会にも、壮大な地域社会にも、「幸福の花」「人材の花」「平和と文化と教育の花」を、爛漫と咲かせてゆこうではありませんか?」

今の社会にあって、私たちが対話に売って出る使命と誇りが綴られております。
さあ、「創価勝利の年」の総仕上げへの後半戦、自分の周りから、身近なところから、妙法の種を蒔きゆく対話を、一段と広げ抜いて参りましょう。
                                    


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