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2019.9.21-3

2019年09月21日 (土) 01:44
2019.9.21-

【一年前】
●朝
妻「あれ、昨日は革靴履かんで運動靴履いて行っとったろ?」
私「うん、出張の時は別にお客さんとは会わないとだからいつも普段靴よ」
「そうね、私はてっきり間違うて履いていかしたばい、いよいよ危なかばいて思いよったたい」
「明日も東京はまた普段靴で行くよ」
「前は違うことで監視しよったけん、癖の取れんたい、ごめんね?」
?

【二年前】
●中国経済新聞(月刊)
北朝鮮の朝鮮国際問題研究院チョン・ミョンチョル博士の「論評」を載せているのが注目を引きました。

「一部の周辺大国は、悪化した朝鮮半島情勢に対する責任が朝鮮にもあり、米国にもあると主張している。しかし、朝鮮は先鋭な現事態の責任が全的に、米国とその追随勢力にあると主張している」

「いかほどであれば、ズボンを抵当にいれて数億の人口のうち、半分が生き残るとしても、『両弾一星(原爆と水爆、人口衛星)』の悲願を成就すべきだという言葉まで吐いたであろうか。米国をはじめとする西側世界のこのような圧力の中で筆舌に尽くしがたい苦行の道を歩む時、それに全面的な支援と声援を送ったのはまさに、朝鮮であった。」
(朝鮮中央通信簿8月25日)

北朝鮮が核とミサイルの開発のテンポを速めている意味を的確に読み取らねばならない。要は、「対話」か「放棄」かの議論の無意味化を目指している。すなわち、完成させたものに対して「凍結」は意味を持たない。核とミサイル(ICBM)の保有を前提として「対話」に踏み込むのかどうか、その一点に絞って米国に迫ってくる。
……
それを嫌だというなら、残るは「戦争」しかない。つまりは、こういう論理構造のステージに、いま我々は立ち至ったのである。
問題のありかが絞られたということは、こういうことである。

?朝鮮は朝鮮で言い分があるようです。
?

◎フランス第一共和政(フランスだいいちきょうわせい、仏: Première République française、英: French First Republic)
フランス史上初の共和政体である。8月10日事件によるブルボン王政打倒を経て国民公会によって王政廃止が宣言された1792年9月21日から、ナポレオン1世の下で帝政が宣言された1804年5月18日まで存続した。

◎戊戌の政変(ぼじゅつのせいへん)とは、清末において、光緒24年(1898年、戊戌年のおよそ100日間)に西太后が栄禄・袁世凱らと共に、武力をもって戊戌の変法を挫折させた保守派(反変法)のクーデターである。

変法派のクーデタ画策と失敗、そして弾圧
孤立した状況の中で、変法派はついに軍事力によって西太后や満州貴族を捕らえ、実権を握った上で改革を断行する案を作成した。しかし変法派は独自の兵力を持っていないため新建陸軍の指揮官であり、変法にも早くから理解を示していた袁世凱(彼は一時康有為の政治団体である強学会に所属していた)にこの役割を担ってもらうことにした。8月3日(9月18日)譚嗣同が袁の私邸で説得を行い、袁も了承したかに見えた。

ところが8月5日(新暦9月20日)、袁は西太后の側近栄禄にこの情報をリークした。西太后のリアクションは早く、早くも翌日から変法派官僚の大粛清が行われた。康有為、梁啓超らはいち早く逃亡して日本に亡命した。しかし光緒帝は幽閉され、譚嗣同ら6人の官僚は8月13日(9月28日)、北京城内の菜市口で処刑された。譚嗣同は逃亡の勧めを断り、「改革の礎になる」と自ら捕らわれ処刑されたという。なお、処刑された主要な変法派6人(譚嗣同、林旭、楊鋭、劉光第、楊深秀、康広仁)を「戊戌六君子」と呼ぶことがある。

◎関東軍の専行
日本政府は、事件の翌19日に緊急閣議を開いた。南次郎陸軍大臣はこれを関東軍の自衛行為と強調したが、幣原喜重郎外務大臣(男爵)は関東軍の謀略との疑惑を表明、外交活動による解決を図ろうとした。しかし、21日に林中将の朝鮮軍が独断で越境し満洲に侵攻したため、現地における企業爆破事件であった柳条湖事件が国際的な事変に拡大した。21日の閣議では「事変とみなす」ことに決し、24日の閣議では「此上事変を拡大せしめざることに極力努むるの方針」を決した。林銑十郎は大命(宣戦の詔勅)を待たずに行動したことから「独断越境司令官」などと呼ばれた。

林 銑十郎
(はやし せんじゅうろう、1876年(明治9年)2月23日 - 1943年(昭和18年)2月4日)
日本の陸軍軍人、政治家。陸軍大将、正二位、勲一等、功四級。

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行敏訴状御会通 第四章爾前妄語の論難に答える

又云く所謂法華前説の諸経は皆是れ妄語なりと云云此又日蓮が私の言に非ず、無量義経に云く未だ真実を顕さず未顕真実とは妄語の異名なり法華経第二に云く寧ろ虚妄有りや不なり云云、第六に云く此の良医虚妄の罪を説くや不や云云、涅槃経に云く如来虚妄の言無しと雖も若し衆生虚妄の説に因ると知れば云云、天台云く則ち為如来綺語の語云云、 四十余年の経経を妄語と称すること又日蓮が私の言に非ず、

また、訴状には「日蓮は、いわゆる法華以前に説かれた諸経は、ここでの論難は、先の行敏初度の難状における 皆これ妄語である」といっている、とある。

これについていえば、これもまた、日蓮の私言ではない。無量義経には「四十余年の諸教には、未だ真実を顕していない」とある。

法華経巻二、譬喩品第三には「むしろ虚妄があるかどうか」とある。法華経巻六、如来寿量品第十六には「よくこの良医の虚妄の罪を説くことがあるだろうか」とある。

涅槃経には「如来には虚妄の言葉はないけれども、もし衆生が虚妄の説によって、法の利益を得られることを知れば、衆生の機根の宜しきに随って、方便のためにこれを説く」とある。天台大師は「法華経以外の諸教は、すなわち綺語の説である」と言っている。四十余年の経々を綺語と称することは、これらの経釈によったのであり、日蓮の私の言ではない。


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