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7月29日(月)
今週はひたすら住所録1,000件作成?
妻「次は衆院選やけんね」
?
私「映画見ると心が綺麗になる」
妻「心が綺麗になる?あはははは(^з^)-☆
………たまがった〜(熊本弁:びっくりした)
………こ、こ、ろ、が、綺麗になるげな?
………ど〜ら見せてごらん」
「………?」
◎万葉の湯 博多 由布院・武雄温泉 3 つ星ホテル
8月16(金)17(土)二連泊シングル電話予約??
16(金)夏の陣打上「お待ちしておりました???」
17(土)九州ほたる会総会/福岡池田文化会館(薬院)
18(日)ミキ福岡スタディ/ホテルニューオータニ博多
☆そしたら妻も8月上旬、娘と万葉の湯で一泊するとのこと。
「ほ、優雅ね」
「よかやんね。お父さんはいつもやんね」
【一年前】
●妻起きてきて
妻「太か声で寝言いよったろ?
両手を上げて………びっくりしたよ」
私「………あ、そうそう………恵(娘)が孫を産んで、目の前に抱き抱えてきたから、両手を上げて『オー?』と叫びよった」
娘「孫が欲しいとやろね」
私「そうたい。恵太(息子)が宛にならんから、恵の孫を夢の中で期待しよるとやろ」
?????
◎タイ研修センター
タイは私にとって初の海外旅行先。二十一歳、創大2年生終わりの春休み、タイの会館で交換会になった時に、初めて英語で喋らないといけない状況になり、汗水流して話したことを覚えています。
今もFBで時々見ますが、タイ創価学会の発展は本当にすごいものです。
◎名字の言(7/28)
「死ぬまで(修羅の巷のまっただなか)でのたうちまわる」
「禍福はあざなえる縄のごとし」
「浅きを去って深きに就くは丈夫の心なり」
◎ヤフオクドーム行き・福岡タワー行きバス超満員?
福岡ソフトバンクホークスvsオリックス・バファローズの試合がヤフオクドームで、14時00分にプレイボール
◎貧女の一灯?
貧女の我がかしらをおろして油と成せしが須弥山を吹きぬきし風も此の火をけさず、されば此の二三の鵞目は日本国を知る人の国を寄せ七宝の塔を忉利天にくみあげたらんにも・すぐるべし、法華経の一字は大地の如し万物を出生す、一字は大海の如し衆流を納む・一字は日月の如し四天下を照す、此の一字変じて仏となる、稲変じて苗となる・苗変じて草となる・草変じて米となる・米変じて人となる・人変じて仏となる・女人変じて妙の一字となる・妙の一字変じて台上の釈迦仏となるべし、
◎いつも心はジャイアント?The Giant
監督:ヨハネス・ニホーム
7月28日(日)11:00
2016年/デジタル/90分/スウェーデン=デンマーク/日本語字幕付き?
リカルドは頭骨が変形する難病を患い、施設で暮らしている。父はなく、母親も精神を病み、別の施設で過ごしている。リカルドは、辛い日々のなか、自らを巨人化した不思議な世界を空想するようになっていた。そんな人生が、ベタンクという球技に出会い一変する。練習を通じて、たくさんの仲間を得た彼は、北欧選手権に出場することを決意する。優勝できれば、きっと母親に元気を与え、いつか一緒に暮らせると信じて―。?
☆心洗われる映画でした?
◎エッシャー 無限の旅
M. C. Escher - Journey to Infinity
監督:ロビン・ルッツ
7月28日(日)14:00
2018年/デジタル/80分/オランダ/
日本語・英語字幕付き
2018年に生誕120年を迎え、「トロンプ・ルイユ(だまし絵)」で知られる“奇想の版画家”M.C.エッシャーの書簡や日記、講演録に基づき彼の生涯と作品を紹介するドキュメンタリー。インスピレーションを求めてイタリアやスイス、スペインなどを旅するエッシャーを追いかけつつ、彼の2人の息子による証言なども取り入れる。監督はドキュメンタリー作家としてこれまでに数々の賞を受賞している。日本初公開。
●マウリッツ・コルネリス・エッシャー(Maurits Cornelis Escher?[?m?ur?t?s k?r?ne?l?s ????r],?1898年6月17日?-?1972年3月27日)はウッドカット、リトグラフ、メゾティントなどの版画制作でよく知られたオランダの画家(版画家)である。建築不可能な構造物や、無限を有限のなかに閉じ込めたもの、平面を次々と変化するパターンで埋め尽くしたもの、など非常に独創的な作品を作り上げた。
☆二人の息子はいずれも90歳前後。
こんな人がいたのかという感じでした。
◎福岡タワーからの帰りバスを間違えたお陰で大濠公園へ?
時間があったので大濠公園南口をバスを降り、初めて南から北へ散策。中国浙江省の杭州市にある名所の西湖をモデルに作られたとされる大濠公園。たぶんもう15年以上ぶり。
●大濠公園松島に立つ歌碑
しろたへの
袖の別れを
難(かた)みにして
荒津の浜に
やどりするかも
(あなたとこのまま離れてしまうのが惜しいので、荒津の浜で一夜の宿を取ってしまいました。)
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十一通御書 弟子檀那中への御状
大聖人は文永7年(1270)11月の金吾度の御返事でも11通の御状の送付に関連して、法華経のために身命を捨てる喜びを、次のように記されている。
「法華経のゆへに流罪に及びぬ、今死罪に行われぬこそ本意ならず候へ、あわれ・さる事の出来し候へかしと・こそはげみ候いて方方に強言をかきて挙げをき候なり、すでに年五十に及びぬ余命いくばくならず、いたづらに曠野にすてん身を同じくは一乗法華のかたになげて雪山童子・薬王菩薩の跡をおひ仙予・有徳の名を後代に留めて法華・涅槃経に説き入れられまいらせんと願うところなり」(0999−11)
これは「先に伊豆に流罪された、法華経のために命を捧げている自分としては、死罪に行わずにいるのが不本意である。法華経のために死罪に値うようにと折伏・弘法に励み、方方へは強言の諫状を送った。いたずらに曠野に捨てる身なら、一乗法華経のために捨てたい」との文意である。
この御文からも、日蓮大聖人が「十一通御書」を送付するにあたって、あらかじめ死罪を覚悟されていたことが拝される。