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2019.7.30

2019年07月30日 (火) 00:12
2019.7.30

おはようございます??↑34℃↓26℃
7月30(日)(火)
今日は息子の誕生日。33歳。
自分の三十代までは長かったけど、息子は早い。ビックリ?
    
          
仕事は住所録作成どころではない。
益々忙しくなってきた?
妻「お盆は9連休やろ。その時にするたい。業務中は無理」
?

この前、映画館で、
「一般はお一人様1,800円です」
私が「シルバーでお願いします」と言ったら、
受付の女性、一瞬ですが「えッ?!」
免許証を出して1,100円。
妻・娘( ^-^)ノ∠※。.:*:・'°☆
「それは良かったねえ?嬉しかったろ?………
その一瞬の『えッ?!』が良かったろ」
『えッ?!』
???


◎文在寅という災厄/武藤 正敏
アマゾン注文。今年21冊目

◎イギリスもなんかおかしくなってきたな〜??

◎上海は卒業
2019年度上海校友会総会のご案内
ご連絡頂きありがとうございます。
せっかくご連絡いただきましたが、
上海はもう卒業しようと考えています。
経費削減のためです。

参加したいのは山々なのですが、
上海の事業も終わり、
今はもう何人かの人間関係で来ているだけで、
銀行から「個人的経費は減っていませんね」と指摘され、
やっぱり女性との関係が一番お金がかかりますので、
そろそろ卒業かなと思っています。
メイちゃんとももう終わりにします。
深い関係は何も無かったですけどね。(*^^*)
wechatだけはまだ続いています。

上海に来て7年、51回の上海で、
私の“上海シリーズ”は終わりにしたいと思います。
今回も、来年の魯迅記念館も参加しません。
よろしくお願いします。

猿渡さん
これまで遠路上海校友会に参加いただき
ありがとうございました。
7期の同期がいるだけで心強くやってこれました。
上海を卒業されるということで、さみしい限りですが
人生の仕上げに向けて、事業も有終の美に向けた
動きを歩まれることを祈っております。
税務のことで相談するかもしれませんが
そのときはよろしくお願いします。
再会の日があることを信じております。
吉富

吉富さん
私も再会の日があることを信じています。
本当にありがとうございました。
猿渡

妻「お父さんは、日本で、大牟田で、手鎌で、実証示すことが使命? 事務所を磐石にせんなら」

「事務所は、職員が離れ、お客さんが離れるごとに、磐石になってきた感じがするね」
?

   
【一年前】
●『平安京』(安部龍太郎)
「この仕事とは」
「新しい都を造ることだ。この大きな仕事の前では、自分の意地やこだわりなど、小さなことのように思えてきたのだ」

「実は、この対立の背後には、天智天皇派と天武天皇派の長年の確執があるのだ」

争いの端緒は白村江の戦い(663年)、いや、それより十八年前の大化の改新(646年)にまでさかのぼる。

(天智天皇の)後を継いだ大友皇子(おおとものみこ)(弘文天皇)は父の方針を受け継いだが、唐や新羅と和睦すべきだと考える大海人皇子(おおあまのおうじ)は、近江朝廷を滅ぼして新たな政権を立てた。
これが任申の乱(じんしんのらん)である。

壬申の乱(じんしんのらん)
天武天皇元年(672年)6月24日 - 7月23日に起こった古代日本最大の内乱である。


◎日本共産党
三年後、結党100周年を迎えるんだ〜?
成立年月日 1922年(大正11年)7月15日
(1945年12月に合法化)
結党者:堺利彦・山川均ら

◎【歴史の交差点】
現代の「よう言録」を書くなら 
武蔵野大特任教授・山内昌之

さて、その正俊が綱吉を称揚した『●言録(ようげんろく)』という書物がある。『続々群書類従(ぐんしょるいじゅう)』(第十三)に入っているので、最近ようやく読む機会を得た。●言とは、「包み隠さず公言する」という意味である。名君録ともいえる本書には、2人の不和を思わせるものは少ない。むしろ正俊は、綱吉の英主たる所以(ゆえん)を指摘してやまない。

またある日、綱吉が正俊と政を論じていたときのことだ。工(たくみ)に命じて作らせた小器でも、できてみれば心にかなわないところがある、と語った。これを改作させても、また心にかなわない。自分の思うような器はできない、「凡(およ)そ物皆然(しか)り」というのだ。さらに綱吉は古人の言葉を引いて、「水至りて清ければ則(すなわ)ち魚無し」と語ったが、これは初代将軍家康の好んだ言葉でもある。綱吉は「国家を治むる者、これを思はざるべけんや」と正俊に諭した。

『●言録』が書名に恥じず、事実だけを記しているか否かは別に議論されるべき問題である。しかし綱吉は生類憐みの令に限らず、為政者の威令だけでは自分の描いた政治ビジョンが下まで達しない限界を痛感していた。参院選挙後の政治情勢について、是々非々で「現代の●言録」を書くとすれば、どのような視点になるのだろうか。
      
        
◎「猿渡潔についての7つの真実」
Hが上手
ロマンテック
旅行が好き
前向き
気配りが良い
面白い
道徳的
………結構当たっているかも?
   
          
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

十一通御書 弟子檀那中への御状

続いて「十一通御書」を送付された相手を挙げられている。すなわち、鎌倉殿・宿屋入道・平の左衛門尉・弥源太・建長寺・寿福寺・極楽寺・多宝寺・浄光明寺・大仏殿・長楽寺、以上11ヶ所へ「諫訴」したといわれる。「諫訴」とは誤りを諌め、正義を訴えることをいう。

「定めて子細有る可し、日蓮が所に来りて書状等披見せしめ給え」との仰せは、諌訴に対し、必ず、何らかのことがあるであろうから、念のために大聖人の所へ来て、11通の書状がどんな内容なのか一つ一つ披見してほしい、との意味である。おそらく下書きが残されていたのであろうし、11通の書状を今日知ることができるのも、残された下書きがあったからである。ともあれ、弟子檀那が「十一通御書」の内容を熟知するか否かで、受難の覚悟も心構えも違うことから、そのための御配慮と拝される。

このように生命に及ぶ大難を予見されながら、大聖人はあくまでも仏法のため、衆生を救うために幕府や諸大寺に公場対決を迫る強い諌暁をされたのである。


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