【一年前】
●朝
妻「いびきかきよった。自分でわかった」
私「婦人部総会で疲れとったとやろ」
「そうたい、自分のグループだけでなく、他のグループまで動かんなんけん」
「小さな会合を一所懸命にするね」
「そらあ? 小さな会合が大事かったい。小さな会合が世界平和に繋がっていくとたい」
「素晴らしい?」
「お、今日も全国女子部長の題目?」
娘「モリナガモリナガ」
妻「( ^-^)ノ∠※。.:*:・'°☆」
娘「お母さん行ってきま〜す」
妻「行ってらっしゃい」
私「あれ、お父さんに行ってきますは?」
娘「モリナガ」
妻「あは( ^-^)ノ∠※。.:*:・'°☆」
?
【二年前】
●阿川佐和子さん63歳で結婚!
妻「そうね♪ それは良かったね」
私「63歳になっても綺麗だからいいもん」
妻「やっと女の幸せ掴ましたね♪」
私「惠子さんは俺と結婚して幸せ掴んだ?」
妻「言わん!すぐfacebookに載せるでしょうが?」
??
◎福創会総会(九州池田講堂福岡会館10:30)
●木庭健太郎1期生あいさつ
今はまだ「公明党九州本部長」をさせて貰っています。(笑)
福岡県議会公明党のうち創価同窓4/11人?
福岡市議会公明党のうち創価同窓6/12人?
そのほかも公明党のうち創価同窓7/57人?
平成元年最初の選挙で創価同窓から初めて国政に当選したヤツがいるーー何を隠そう、この私です。(笑)
当時はもう非難中傷の嵐………そうだった?
FRIDAY「池田親衛隊」??それはまだよかった。
ーー「日本政界乗っ取り」??
『何よりも嬉しき当選創大生』??
奇しくも令和最初の選挙で下野六太も福創会メンバー
子息二人が創大生
●活動体験
私には42期生、47期生の二人の娘
しかし娘が中高校生の時、主人の事業の失敗で多額の借金を抱え、離婚。経済的にも窮地に陥りました。
お題目が400万遍を越えた時に思いもよらないことが。
ある医学部関係の財団から奨学金
医学部だから関係ないと思っていたら、
創価大学文学部「社会福祉専修」ということで
43万円の奨学金??
●2階では北九州の交流勤行会
◎国連「持続可能な開発目標(SDGs)」
創価大学が世界17大学の推進拠点に
池田先生の「SGIの日記念提言」(2019.1.26)を具体的に
3月号大百蓮華
●田代創価大学理事長
来年度から大学無償化(返さなくていい奨学金)
高校の時に申請、高校から文部省に提出
1/3、2/3、最大200万
貰えなかった人は創価大学の奨学金
すでに大学に入っている方は大学を通して申請
高校はのんびりしていて発表しないところが多い
今日の聖教
創価大学野球部が9連勝でリーグ優勝で全国大会へ!
今日勝てば10戦全勝
デイム・クレア・バーチンガー女史
子供の時は特殊教室で成績も最低の教室
創価大学卒業式で講演
小説人間革命を読んで感動し、入会?
エリザベス女王からイギリスの最高勲章
「皆さんは世界を変えることができますか」
あちこちから「はい」………嬉しかった。(笑)
創価大学45期生、短大生35期生
ちょうど50年前、何もなかった時、岡があるのみだった。
「地球民族の和楽のスクラム」
今まさにその通りになった。
イスラムの学生も今10名
SDGsーー2030年までに
17項目の目標に創価大学も
「持続可能な開発」
「誰も置き去りにしない」
まさに創価学会の理念と一致
4位のグループ10大学に創価大学(私立では1大学)
世界61位?
程永華(ていえいか)駐日大使離任パーティー
安部首相始め政財界、大企業
池田博正副会長
日中関係最悪期
公明党山口代表
「創立者池田先生の日中国交回復宣言
田中首相が行く前のお膳立て
日本で始めての中国からの留学生」
花もトップは池田先生
45年までに留学生を手を打たれた
その後も何度も何度もお世話して………
ロシアのガルージン駐日大使も創価大学留学生
先生が打たれた手が今花を開いている
7期生副会長
我々の時は素朴な大学だったんですけど、
今はグローバルな大学になっています。
創価大学学生歌を歌うと感極まる?
創価の人間教育の勝負?
池田先生からのご指導
煽り、不登校
一人も残らず達成感を染み込ませる仕組み作り
◎5.19「創価学会常住御本尊記念日」
黄河は千年に一度すむといへり・聖人は千年に一度出ずるなり、仏は無量劫に一度出世し給ふ、彼には値うといへども法華経には値いがたし設ひ法華経に値い奉るとも末代の凡夫法華経の行者には値いがたし、何ぞなれば末代の法華経の行者は法華経を説ざる華厳・阿含・方等・般若・大日経等の千二百余尊よりも末代に法華経を説く行者は勝れて候なるを、妙楽大師釈して云く「供養すること有る者は福十号に過ぎ若し悩乱する者は頭七分に破れん」云云
◎モスクワ大学の講演で「妙の三義」?
「妙と申す事は開と云う事なり」
「妙とは具の義なり具とは円満の義なり」
「妙とは蘇生の義なり蘇生と申すはよみがへる義なり」
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
十一通御書 極楽寺良観への御状
第一章経文通りの僭聖増上慢と断ず
本書状は文永5年(1268)10月11日、日蓮大聖人が47歳の御時、鎌倉・松葉ケ谷でしたため、律宗の良観に送られた書である。
良観は字で韓を忍性といい、大和国磯城郡の出身。10歳で信貴山に登って修行し、24歳の時、律宗の叡尊に師事して受戒、南都の戒律復興に尽力した。建長4年(1252)関東に下り、弘長元年(1261)に鎌倉に入って律宗を弘めた。
文永4年(1267)北条長時の弟・業時に招かれ極楽寺開山となり、37年間にわたってここに住んだ。最盛期には、支院四十九・施薬院・福田院・療病院・癩病院・薬湯院・馬病院などがあったという。