◎北山たけしコンサート
柳川温泉 輝泉荘 pm5:00
司会者「本日はカメラ・スマホ・レコーダー等での撮影は一切お断りいたします。
ただ、このあとまず父親の渡辺英気が出て参りますので、そのときは拍手声援撮影どんどんやってください。ないとかえってさみしそうですから」
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父・渡辺英気さん
「私、年金生活で72歳になりまして…」
がんばれー?
「はい、ありがとうございます」
北山たけし
「筑後サザンクスでも同じだったんですが。親父と一緒はやっぱりやりにくいです」
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おやじはいらん?
???
有明海?
「元々歌手を目指したのは親父でした。
親父の夢を息子に擦り付けました」
?
「親父がスタンバっています。うずうずしています。踊ってくれるそうです………
本当は一人で歌いたいんですけど………」
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「琴奨菊、勝ちました」
?
「昨日は徳島から帰り、師匠に電話しました。ちょうど電話に出られまして、
『お、たけしか』
おおたけ??と呼ばれております。
………柳川来たいけど今は忙しい。
何かと思ったら『競馬』だそうです。?
最近私尺八を吹いていまして
『首降り3年、音3年』
私、男ですから年齢は隠しません。
44です。
父親は84歳です。
えー??
72歳です。
師匠は82です。昭和11年です。
私が作詞作曲『ともしび』
11月に発売したCDに入れさせて貰っています。これを買って頂くと………
『印税生活』です。?
☆北山たけしは明日たNHKで収録、明後日火曜日pm7:30出場し、2曲歌うとのこと。
録画予約も完了。
「俺よりも楽しんでた感じね」
妻「面白かったもん」
◎軍師官兵衛
岩佐 又兵衛
(いわさ またべえ)
天正6年(1578年) - 慶安3年6月22日(1650年7月20日))は、江戸時代初期の絵師。又兵衛は通称で、諱は勝以(かつもち)。
摂津国河辺郡伊丹(現在の兵庫県伊丹市伊丹)の有岡城主、荒木村重の子として生まれる。 誕生の翌年・天正7年(1579年)、村重は織田信長の家臣であったが、信長に反逆を企て、失敗する(有岡城の戦い)。落城に際して荒木一族はそのほとんどが斬殺されるが、数え年2歳の又兵衛は乳母に救い出され、石山本願寺に保護される。
◎西郷どん
海外に行って大久保は変わった?
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◎1965年(昭和40年)
韓国の時の大統領は、国内の猛反対を押し切って日本との国交回復をしたとのこと。
命がけで?
そして暗殺。
韓国にとってもやっと出来たこと。
個人は置き去りにされていたのも無理からぬこと。
日本はもう少しその辺のところを分かってあげないといけないのでは。
政治もマスコミも。
民主化されて30年も経っていない。
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早勝問答 第六章真言密教の邪義を破す
尋ねて云く六波羅蜜経は顕教密教の中には何れぞや、
他云く六波羅蜜経は雑部の真言なり我が家の三部は純説の真言なり、
答う助証正証と云う事全く弘法の所判に見えず若し弘法の義ならば堕獄は治定なるか、 他云く真言は速疾の教・顕教は迂回歴劫の教なり云云、
自ら云く自義なるか経文なるか、
他云く五秘密教に云く「若し顕教に於て修行する者は久しく三大無数劫を経」と説けり是れ其の証拠なり如何、
答う、さて此の経は釈迦の説なるか大日の説なるか若し釈迦の説ならば未顕真実は治定なるか。