◎九州メモリアルパーク&温泉
一年ぶり、妻・娘(26)と三人で行ってきました。車の中ではいろんな話ができました。
?????
妻「恵太(息子)は三ヶ月前に大阪で分譲マンションを買って引っ越していたらしい………
親にも言わんで私ははがいくてね………
お父さんは恵太にはあまり厳しく言わんね」
私「ま〜だ本当の人世の試練を受けていないから………
人生一度や二度は『何かある?』
何もないことはない………
必ずあるから………
その時のために今は題目を送っているだけ」
娘「私はお母さんのいいところと、お父さんの悪いところを参考に今からの人生生きていく」
???
「お母さんは学会活動を真面目に目立たないところで人に尽くして………、
お父さんは………不倫、浮気、遊びはしちゃだめ………破綻する………お母さんの辛抱………」
妻「わははは( ^-^)ノ∠※。.:*:・'°☆
娘に言われるとな〜んも言えんね
( ^-^)ノ∠※。.:*:・'°☆」
大分道の帰り、鳥栖ジャンクションの手前辺りに来たらーー
娘「昔、お父さん、この辺で墓穴掘らしたもんね………
お父さん『この辺に個室の露天温泉があるよ』………
私『お父さん、そこ誰と行ったと?』」
( ^-^)ノ∠※。.:*:・'°☆
行きは片道ちょうど二時間、帰りは三時間かかりました。帰りは九州道上り線鳥栖ジャンクション〜大宰府渋滞の影響で、大分道下り線も大渋滞。
☆自宅を11:00に出て13:00からの勤行会に間に合いました。
今日蓮等の類い聖霊を訪う時法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時・題目の光無間に至りて即身成仏せしむ、廻向の文此れより事起るなり、法華不信の人は堕在無間なれども、題目の光を以て孝子法華の行者として訪わんに豈此の義に替わる可しや、
(御義口伝巻上 712ページ)
◎馬鳴(めみょう)菩薩とバラモン(9/23聖教)
尼犍が塔は数年が間・利生広大なりしかども馬鳴菩薩の礼をうけて忽にくづれぬ、鬼弁婆羅門がとばりは多年人を・たぼらかせしかども阿?縛寠沙菩薩にせめられて・やぶれぬ
◎『面白き事もなき世を面白く すみなすものは心なりけり』
高杉 晋作(たかすぎ しんさく、天保10年8月20日(1839年9月27日)- 慶應3年4月14日(1867年5月17日))は、江戸時代後期の長州藩士。幕末に長州藩の尊王攘夷の志士として活躍した。奇兵隊など諸隊を創設し、長州藩を倒幕に方向付けた。
野村 望東尼(のむら もとに、ぼうとうに)
文化3年9月6日(1806年10月17日) - 慶応3年11月6日(1867年12月1日))
幕末の女流歌人・勤王家。福岡藩士・浦野重右衛門勝幸の娘(三女)で、幼名は"モト"。贈正五位。
【一年前の今日】
◎ 『お肌綺麗ねえ?』
若い子(33才)から法律相談を受けていたものですから、昨夜突撃大会の後飲み屋に。アルコールなし。
『逮捕・出所した女被疑者への実費請求』 ?
その際の会話−−
『お肌綺麗ねえ?』
「うちは夫婦共に言われるよ」
「何かやってると?」
「…………」
「ねえねえ教えて猿ちゃん」
「ニベアとミキプルーンかな」
「ミキプルーン?」
「体の外からニベア、内からミキプルーン」
「明日写真を送って」
………
「あと公明党について、しっかり読んだよ?素晴らしいよ! 」
「ありがとう???」
?
法律問題も弁護士に一報入れて一件落着、
「あとは弁護士さんとよく話をしてみて」
?
◎軍師官兵衛
「長政には皆に守られているということを気づかせるためだ」
◎西郷どん
☆鳥羽・伏見の戦い
明治元年/慶応4年1月3日 - 6日
(1868年1月27日 - 30日))
戊辰戦争の初戦となった戦いである。
☆ 「錦の御旗」
天皇の軍隊すなわち官軍であることを表す旗です。 この「錦の御旗」は、後鳥羽上皇が鎌倉幕府を倒そうとした承久の乱の時に初めて授与されたといわれています。 また、後醍醐天皇が鎌倉幕府を倒そうとした時にも掲げられたといいます。 こうした記録をもとに、岩倉具視は、3か月も前から準備していました
「錦の御旗」が翻ることにより、新政府軍が官軍となり、幕府軍は賊軍となることになります。
この錦の御旗が、鳥羽伏見の戦場に翻ったのは、正月5日の午後2時ごろです。
これにより、勝敗は完全に決しました。
新政府軍は士気が挙がる一方で、幕府軍は戦意を喪失し淀城方面へ敗走し始めます。
日和見を決め込んでいた諸藩は、雪崩を打って新政府軍側に味方するようになりました。
この時に、征討大将軍に任命された仁和寺宮嘉彰親王は、名前の通り仁和寺の門跡でしたが、直前の慶応3年12月に、復飾を命ぜられ仁和寺宮嘉彰親王と名乗りました。
戊辰戦争では、会津征討越後口総督 として官軍の指揮を執りました。
明治15年に、宮号を小松宮に改称し、小松宮彰仁親王と名乗るようになりました。
この小松宮彰仁親王の銅像が、上野公園内の上野駅から上野動物園に向かう途中に左手にあります。
慶喜
「徳川を世界の笑い者にさせてなるものか?」
山岡鉄舟
「侍が主(あるじ)を信じられぬなら、もはや侍ではございません」
☆本当に見応え充分?
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早勝問答 第四章天台宗の教義を破すp.164
問う約教約部の故に約部の日は一往爾前の円を嫌うなり、
答う一義に云く言う所の約教は天台の判釈の四種の約教の中には何れぞや、
一義に云く約部は落居の釈なるか、
一義に云く約部を捨つ可きか、
一義に云く約教の時爾前の円を嫌わば堕獄は治定なるか、
一義に云く約教の辺にて今昔円同じとは法華経二十八品の中何れぞや、
一義に云く玄文の第一の施開廃の三重の故に開会の後も余経を捨つると云う文をば知るか知らざるか。
問うて言う。約教・約部からいえば、約部の立場では一往爾前の円を嫌う。
答えて言う。一義には、いうところの約教は、天台の判釈の四種の約教の中のいずれをさすのか。
一義には、約部は終結の釈であるのか。
一義には、約部を捨てるべきか。
一義には、約教の時、爾前の円を嫌った場合は堕獄は決定なのか。
一義には、約教の辺では、今昔の円は同じであるとは、法華経二十八品の中でどの個所にあるのか。
一義には、玄義の第一に、施開廃の三義をもって開会した後も余経を捨てるという文を知っているのか、知らないのか。