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2018.8.26

2018年08月26日 (日) 04:16
2018.8.26

◎半分、青い
私「これで視聴率が高いのが信じられん」
妻「佐藤健君が出てるけんたい」
「そうね、それでね?」
「女心わからんもんね〜」
?
  
  
◎マッサン
初恋の人が戦争で亡くなって………
エリ「マッサンとの出会いは神様からのプレゼントだと思った」
………
私「惠子さんも潔さんは神様からのプレゼントだった?」
妻「はぁ?………」
?
   
   
   
【一年前の今日】
◎8・24
お通夜
24日に亡くなった鶴崎総県副総合長、修行僧のような穏やかなお顔でした。私は鶴崎さんには25歳の東京から都落ちで大牟田に帰ってきて悶々としているとき、そして45歳仕事が窮地に追い込まれた時と2回、個人指導を受けたことがあります。

45歳の時に引いて頂いた御書が次の御文です。
「涅槃経に転重軽受と申す法門あり、先業の重き今生につきずして未来に地獄の苦を受くべきが今生にかかる重苦に値い候へば地獄の苦みぱつときへて死に候へば人天・三乗・一乗の益をうる事の候、不軽菩薩の悪口罵詈せられ杖木瓦礫をかほるもゆへなきにはあらず・過去の誹謗正法のゆへかと・みへて其罪畢已と説れて候は不軽菩薩の難に値うゆへに過去の罪の滅するかとみへはんべり」

また、いつも会合での話の最後に諳じてあった御書が次の御文です。
「然れば仏教を習ふといへども心性を観ぜざれば全く生死を離るる事なきなり、若し心外に道を求めて万行万善を修せんは譬えば貧窮の人日夜に隣の財を計へたれども半銭の得分もなきが如し、然れば天台の釈の中には若し心を観ぜざれば重罪滅せずとて若し心を観ぜざれば無量の苦行となると判ぜり」

いつも先生の事と、御書と、反逆者のことを通快に話されていました。

お通夜の最後のお題目三唱の時−−
「今世も大変お世話になりました。また来世もどこかでお会いしましょう!」
?


☆翌日のお昼、何気なく空を見たら、ちょうど空のテッペンで、“鶴”のマークの雲がかかっていて不思議な光景でした。亡くなったのも8.24。空から「ありがとう」と地域を照らしている感じで、とても印象的でした。
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◎石酪
テムジンは、石酪(せきらく)をひとかけ、子供に渡した。それで、空腹は凌(しの)げる。硬い酪であり、いつまでも保っ。遊牧の民は、これだけでひと冬過ごすこともあるのだ。
(チンギス紀/北方謙三)



◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

早勝問答 文永八年  五十歳御作 p.163
第三章 禅宗の教義を破す

一義には、これらの文は法華経を無益と説いたものなのか、と反論せよと仰せである。

これらの文は、いずれも法華経を修行するなかの禅定を説いたものであって、法華経を無益として否定するものでないことは当然である。

禅宗の坐禅は、法華経を無益とした上に立てたものであり、その趣旨が全く異なるのである。本来の経文の趣旨に関係なく、禅という言葉が出てくる個所を抜き出しただけであって、禅宗の坐禅を正当化する根拠にはならないのである。


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