◎朝
私「台所の周りでぶつかると、前は抱きつきよったけど、今はバウンドするね」
妻「抱きつくなら病院に入らんなん」
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【一年前の今日】
◎「終戦記念日」各紙の社説
?産経:首相は靖国参拝再開を
ーー愕然としました!やっぱり根っこは極右だな。今後も注意しながら読まないといけない。
?読売:中国が今後も歴史認識の問題で自制的な態度を保つのか、注視したい。
ーー「お前が悪い」論調!自民党的?
?西日本:訪日客誘致を……紛争の抑止力として捉える視点が必要
?朝日:色あせぬ歴史の教訓
?毎日:恒久的な追悼施設を
差異乗り越える努力を
ーーおッ!少し毎日新聞を見直しました。
?日経:わだかまりなく戦没者を追悼したい
「公明党の山口那津男代表は先日、広島で原爆死没者慰霊碑だけでなく、韓国人原爆犠牲者慰霊にも献花した。原爆で亡くなった14万人のうち、朝鮮半島出身者は2万人もいた。にもかかわらず、政府・与党首脳がこの碑にお参りしたのは初めてだったそうだ。こうした小さな積み重ねの先に真の和解はあるはずだ。」
ーーおッ?!あの日経が!という感じです。
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◎「公明、憲法論議に警戒」(読売8/16)
読売の表現もいびつ?
警戒どころか、自民党でさえもまとまっていないどころか、石破などは国防軍主張するし、野党は憲法論議さえできない。自衛隊が合憲であることは国民の大多数が認めている。改正する必要は全くない。安部さん、これにあんまり拘ると、本当に失速するよ?
☆安倍首相のFBに直接コメント?
◎法華経を説く人は柔和忍辱衣と申して必ず衣あるべし(御衣並単衣御書P971)
◎人も又是くの如し世間の浅き事には身命を失へども大事の仏法なんどには捨る事難し故に仏になる人もなかるべし(佐渡御書P956)
◎根深ければ則ち条茂く源遠ければ則ち流長きが如し(御義口伝P715)
◎今日蓮が時に感じて此の法門広宣流布するなり(三大秘法禀承事P1023)
◎necoとduetto
健康サプリ。
今日ちょうど2個目ずつ折り返し???
いつもは端数残るが、きちんと5個ずつ飲んでいるようだ。
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◎宮家邦彦氏
「北朝鮮問題と貿易戦争は今後も長く続く米中のスターウォーズにすぎません。………
今こそ中国は1980年代の日本から学び………
戦略的決断を下すべきなのです」
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◎4時間かけて九州・沖縄メモ
沖縄28枚
大分・宮崎・熊本16枚
計44枚
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◎妻、100均で老眼鏡??
「これよかよ〜?文字の目っからんだったのが綺麗に見えるごつなった」
私「どら………あ、これはでけん。
俺は近くは眼鏡はいらん、遠くが見えんと」
「そうね、お父さんの方がやっぱ若っかね」
「そうよ、奥さんの方が俺より長生きせんといかんとに………」
??
◎ブレトン・ウッズ協定
(ブレトン・ウッズきょうてい、英語: Bretton Woods Agreements)
第二次世界大戦後半の1944年7月、アメリカ合衆国のニューハンプシャー州ブレトン・ウッズで開かれた連合国通貨金融会議(45ヵ国参加)で締結され、1945年に発効した国際金融機構についての協定である。「アメリカ合衆国ドルを基軸とした固定為替相場制」であり、1オンス35USドルと金兌換によってアメリカのドルと各国の通貨の交換比率(為替相場)を一定に保つことによって自由貿易を発展させ、世界経済を安定させる仕組みであった。この体制は1971年のニクソンショックまで続き、戦後の西側諸国の経済の復興を支えた。この協定に基づいて確立した体制のことをブレトン・ウッズ体制という。
◎ニクソン・ショック(英: Nixon Shock)
1971年にアメリカ合衆国のリチャード・ニクソン大統領が電撃的に発表した、既存の世界秩序を変革する2つの大きな方針転換を言う。当初は前者(7月15日のショック)を指し、後者は「ドル・ショック」と言われていたが、その後後者もニクソン・ショックと呼ばれることが多く、両者を併せて「2つのニクソン・ショック」と呼ばれることもある。
第1次ニクソン・ショック
(ニクソン訪中宣言)
1971年7月15日に発表された、ニクソン大統領の中華人民共和国への訪問を予告する宣言から、翌1972年2月の実際の北京訪問に至る『新しい外交政策』をいう。
→ニクソン大統領の中国訪問
第2次ニクソン・ショック
(ドル・ショック)
1971年8月15日に発表された、米ドル紙幣と金との兌換一時停止を宣言し、ブレトン・ウッズ体制の終結を告げた新しい経済政策をいう。