◎『八横八縦』
2025年:高速鉄道の営業距離がほぼ倍増、「8縦8横」網を形成
中国の高速鉄道の営業距離は、2016年末時点で2万2000キロに達し、世界全体の6割以上を占めた。国家発展改革委員会などが打ち出した計画によると、2025年までには現在の2倍弱の3万8000キロに達し、「8縦8横」の高速鉄道網を形成することになる。
「8縦8横」:高速鉄道網がより密に、距離も延長
???
◎「中国の対日依存度を高めるべき」
(富坂教授)
☆その延長線上に韓国も北もあるようだ!!
日中関係がアジアの中心。
あとは枝葉?
?
◎中国の劉鶴副首相
米中貿易戦争の中国副首相はアロー戦争の「無策」官僚に似ている
〜矢板明夫の中国点描〜
◎「六不総督」
清末のアロー戦争当時、英仏連合軍の侵攻に対応した官僚、葉(よう)名(めい)●(=王へんに深のつくり)(ちん)のことだ。「不戦、不和、不守、不死、不降、不走」(迎撃せず、交渉せず、守らず、自殺せず、降伏せず。逃げず)。そんな「無策の策」をとったことが異名のゆえんとなった。
◎葉 名琛(しょう めいちん)
1807年12月21日 - 1859年4月9日
清の官僚。
湖北省漢陽出身。1835年に進士、
1852年には両広総督に昇進した。
凌十八の蜂起を鎮圧している。
1854年には陳開・李文茂・周春・陳金釭らが率いる天地会の蜂起軍に広州を包囲されるが、これを撃退し、数万人を処刑した。
1856年9月10日、アロー号事件が発生するとイギリス領事ハリー・パークスが抗議したが、葉名琛は強硬な態度をとってイギリスと妥協しなかった。これにより事態はアロー戦争へと発展していった。イギリス軍は10月1日に広州を陥落させたが、人数が少なかったためにすぐに撤退した。葉名琛は大勝利を収めたと朝廷に上奏し、広州市民に各国の商館と貿易会社を焼き討ちさせた。
1857年、パークスは大軍を要請し、9月にはイギリス・フランス連合軍が広東に到達した。11月14日、連合軍は広州を占領し、葉名琛は捕らえられ、香港のイギリス軍艦に連行された。当時の人々は葉名琛を六不総督、すなわち「不戦・不和・不守・不死・不降・不走」とそしった。
48日後、軍艦は香港を離れ、葉名琛はインドのカルカッタに幽閉された。葉名琛は自らを「海上の蘇武」と称し、絶食して、翌年の4月9日に餓死した。
◎アロー戦争
(アローせんそう、英語: Arrow War)
1856年から1860年にかけて、清とイギリス・フランス連合軍との間で起こった戦争である。最終的に北京条約で終結した。戦争の理由の一つであった、中国人による多くの外国人排斥事件のうち、もっとも象徴的な出来事がアロー号事件であったため、日本ではアロー戦争と呼称される場合が多い。また、この戦争がアヘン戦争に続いて起きたために、第二次アヘン戦争(Second Opium War)と呼ぶこともある。
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2018.8.16
早勝問答 文永八年 五十歳御作 p.163
第三章 禅宗の教義を破す
法華経を教外別伝の文証に反するを破す(問答4)
禅宗側が、法華経方便品第2に「是の法は示すべからず、言辞の相寂滅せり」とある文を引いて、仏の法は言辞では示し得ないとあり、ゆえに以心伝心・教外別伝という禅宗の主張は正しい、と主張してきた場合の破折の仕方がしめされている。