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2018.6.17

2018年06月17日 (日) 00:26
2018.6.17

◎一年前の今日
【今日から新・人間革命「雄飛」】
先生は第5次訪中。
私は第44次上海。
無理矢理結びつけている。
私も「黄塵万丈」(こうじんばんじょう)の先に明るい未来が!
?


◎誓願69
「今は、なんでも代行業者を使う。葬儀で坊さんに読経をしてもらうのは、その“はしり”でしょう。………」
――坊さんは“専門業者のはしり”。
確かに?(笑)?


◎目の前に脚の綺麗なスッチー???
ラッキー?
澄まし顔でこそっと盗み撮り?
今回は55日前予約でもこの席しか空いてなくて、逆にスッチーの真ん前になるだろうと予想していたけど、その通りになりラッキー?
なんとムッツリスケベのオヤジ?

妻へLINE――
妻、軽蔑のガクー???


◎ジム・ガリソン博士(聖教6/16)
「すべてが流動化する、諸行無常といえる世の中にあって、自らのアイデンティティーを失う恐怖から逃れるため、よりどころとしてナショナリズムに向かうことは、十分ありうる」
『智慧の人』
『勇気の人』
『慈悲の人』


◎『万引き家族』リリー・フランク
「何か一つ悪いと袋だたきにしていく。その裏側に何か見落としていること、見ようとしないことにフォーカスを当てていく」

妻役の安藤サクラさんについて、
「人間としてちゃんとした人からしか出てこない狂気がある」

「身の丈を越えた生活をすると四苦八苦する」


◎観劇のために上京………感激?
?
アンケート
大変感動しました。
涙しました。
ありがとうございました。

?やっぱり来て良かった。
?

第一場【初対面で意気投合する】
韓信と言えば、洗濯女に食べ物をめぐんでもらい、股くぐりの辱めを受けた人物。大王様はお取立てならないだろう。

第二場【金殿に才人を推薦する】
股くぐりの辱めを
甘んじて受けた者に
軍の統率を任せては
物笑いになりかねない

第三場 【官を辞して東に向かう】
丞相様に申し上げます。韓将軍が官職を捨て、逃げてしまいました。

そ、そなた、何と申した?

第4場【夜韓信を追う】
蕭何 貴方は………人を見限るのが早すぎる?
韓信 ああ?
蕭何 あ、あ、あなたは………なぜ、あいさつもなく去られるのか?


第五場【将軍に就任して出陣する】
十面埋伏の布陣?演習始め?

第六場【楚漢が矛を交える】
九里山(きゅうりざん)の戦場
項羽
将軍たちに伝えよ。すぐに鎧を整え、刀や槍を握れ。八千の軍を挙げて漢軍を討つのだ?

第七場【覇王寵姫と別れる】
もし戦場で死んでしまったら
両親や妻や子は
誰に頼って生きていく

姫よ?敵が皆楚の歌を歌っている。劉邦が楚の地を取ったのだ。やられた。

盧や、盧や
血に染まりし
その姿その魂は永久に残る

第八場【烏江に歴史を刻む】
この烏江に血を流し
潔く死んで千古の英霊になろう


◎感動のクライマックス
2014年01月14日 (火) 01:55

(最後がきたらしい)

「あすだ」

(あれは、楚歌(そか)ではないか)

しかも四面ことごとく楚歌であった。

ーーわが兵が、こうもおびただしく漢に味方したか。

「酒の支度をせよ」
みな、ともに飲もう
「酔うほどには飲むなよ」
「飲み了(お)えればめいめいが城を落ちるのだ。運を天にまかせ、いず方なりとも血路をひらいて落ちのびよ」
「まだあるか」
「酔え。ーー」

力は山を抜き 気は世を蓋(おお)ふ
時に利あらずして

騅(すい)逝(ゆ)かず

騅逝かざるを奈何(いかん)すべき
虞や虞や若(なんじ)を奈何せん

彼女が舞いおさめると項羽は剣を抜き、一刀で斬りさげ、とどめを刺した。

項羽の脱出は、すさまじいものであった。

ーーまさか項王ではあるまい。

「江南へ帰るのだ」

「黄金千金に加え一万戸の封地」

「諸公よ」
「わしは兵を挙げて以来、こんにちまで七十余戦を戦い、ことごとく勝った。そのわしがこんにちの窮境に立ちいったのは天がわしを滅ぼそうとしているからである」

「大王のお言葉のとおりでございます」

ーー天が、楚王項羽を滅ぼしたのだ。

「大王よ、早くこの船にお乗りくだされ」

(この男ならば、自分のやったことと、やろうとした志を長く世間に伝えてくれるだろう)

項羽の死は、紀元前二〇二年である。ときに、三十一歳であった。

?項羽がすさまじい勢いで城から駆け逃げる姿が、瞼に浮かぶ、感動のクライマックス!!

◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

早勝問答 文永八年  五十歳御作 p.161
第一章浄土宗の邪義を破す

そこで次に“一義には”として、念仏無間とは法然が法華経を誹謗していることをその証拠として示しなさい、と仰せである。

そしてさらに“一義には”として、法華経の文証を尋ねるのは、法華経を信じて問うのか、信じないで問うのか、と確言しなさいと仰せである。

法華経を信じて尋ねるのであれば、文証を示すことに意義があるが、信じないのであれば示しても無意味だからである。

その上で、“一義には”として、直ちに法華経譬喩品第3の「若し人信ぜずして、此の経を毀謗せば、則ち一切、世間の仏種を断ぜん…其の人命終して、阿鼻獄に入らん」との明白な文証を出すべきである、と仰せである。


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