【一年前の今日】
◎昨日のN九州長の話から
(2017.5.8牧口久留米講堂)
日蓮大聖人は弘安5年(1282年)10月13日に御入滅されました。実は大聖人は亡くなる前の9月に身延を出られ、池上宗仲邸に行かれそこで最期を迎えられました。今の大田区です。
大聖人が最後に講義されたのが立正安国論。そこから大聖人の御生涯は「立正安国論に始まり立正安国論で終わる」とされています。
池田先生は昭和3年にその大田区で生まれました。
昭和30年、当時は文化部として初めて学会から候補者を立てたのが大田区。都議会で小泉さんを立て、神奈川の市会・鶴見区と共にトップ当選を果たしました。これが学会の政界進出の第一歩だったんです。
池田先生の誕生と大聖人の御入滅……!
◎マッサン
私「プライドばっかり高い」
妻「誰かさんとおんなじ」
◎半分、青い
昔の260円の「のり弁」?
よくもうまく再現されてあります。
ほんと懐かしい??
◎radiko、
今日は「RAB青森放送」と「ABS秋田放送」
広告「鶴亀温泉」………北海道、余市の温泉だった。マッサンの後半の舞台
八戸、弘前、ムツ………
東北自動車道、八戸自動車道………
青森の左側、日本海側は寂しそうな感じ………
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10:10FMヨコハマ(録画で夕方?)
【今日の街声〜さやかにきく〜 】
参議院議員・弁護士の佐々木さやかさん、
登場!
Q、ペット飼っていますか?飼いたいですか?
私も実はウサギを飼っていました。
結構逞しかったです。
お年寄りの方でペットを飼っている方が多い。
保護猫カフェ………里親探しもある。
殺処分も減ってきた。
猫を飼いたいですね。
◎夕飯時??
私「イオンの帰り、左側、有明海があまりにも綺麗かったから海沿いまで行って、写真?撮ってきた」
妻「どげんした、昔は感動することなかったとに……最近は泣いたり感動したり」
「心の琴線が……」
「年取ったせい」
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◎茶聖
「そんなことはない。何事も苦境から生まれる」
「苦境とは――」
◎「中韓首脳訪日の真の魂胆は日本の円」
………道理で?納得。
最近対日批判が少なげなってきた感じ。
金が欲しい時は黙り、喉元過ぎれば………
いと淋しい??
◎ロシア「百年の孤独」
東に4世紀、西に4世紀………
『東西混血の国』………
ブルー、グリーン………
どうしてこんな綺麗な眼になるのか!!?
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◎九州人が九州弁と思ってない九州弁
なおす、はわく、からう
「なおす」………修理する
標準語は「直す」………納める
「ごめんけど、これ、なおしとって」
「はわく」……… はわく(掃く)
「箒で掃く」
「からう」……… 背負う
「鞄をからう」
(月下虫音(げっかちゅうね)loveFM)?
◎木星が9日に衝
「衝」とは、太陽系の天体が、地球から見て太陽とちょうど反対側になる瞬間のことです。こうした、惑星の太陽・地球とのさまざまな位置関係をまとめて、「惑星現象」と呼んでいます。衝の時は、地球からの距離が近くなるため、大きく明るく見え、また、太陽が沈むころ東の空から昇って、太陽が昇るころ西の空に沈むので、一晩中見ることができます。このため、衝の前後は、その天体の観察の好機となります。木星は、今月9日に衝を迎えます。中旬ごろになると、木星の出が早くなり、真夜中前に南の空高く昇るので、宵のうちから見やすくなります。
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八宗違目抄 p.160
文永九年二月 五十一歳御作 与富木常忍
第12章華厳“心造”の文は“心具”の義で用う
【本文】
諸宗の是非之を以て之を糾明す可きなり、
恐恐謹言。
【通解】
諸宗の是非は、この一念三千の義の有無によって明らかにすることができるのである。
恐恐謹言。
二月十八日
日 蓮 在 御 判
二月十八日
【解説】
華厳経には二乗作仏・久遠実成が説かれていないから、一念三千を明かしていない。したがって、法華経の体内から離れた華厳経は、文のみがあって義がない、有名無実の“死の法門”にすぎないのである。
そして、本抄の締めくくりとして大聖人は、「諸宗の是非」すなわち華厳・真言等の是非を判断するためには、「之を以て」つまり一念三千の法門の有無と、さらにいえば、本抄前半に記されている仏身の三身常住の義の有無とをもって糾せば明らかにできるのであるとされ、本抄を結ばれている。
「糾明す可きなり」のお言葉は“糾明せよ”との命令形ともとれるが、“可”の字は本来、可能の意味であり、本抄に示された一念三千法門の有無、仏身常住の説示を基準にすれば、諸宗の是非はおのずから明らかになるとの意と拝せられる。
このことは本抄とほぼ同時期の御述作である開目抄で「但し此の経に二箇の大事あり倶舎宗・成実宗・律宗・法相宗・三論宗等は名をもしらず華厳宗と真言宗との二宗は偸に盗んで自宗の骨目とせり、一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり」(0189−01)と仰せられている御文と相照らして拝せられるべきである。