◎元寇は高麗王朝の生存術
自ら進んでモンゴルの「忠僕」となった高麗王朝
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自国への蒙古軍出動を要請した高麗王朝
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こうして蒙古軍と高麗軍は夕軍となった
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対馬と壱岐で行われた虐殺と戦争犯罪
されども去る文永十一年太歳甲戌十月に蒙古国より筑紫によせて有りしに対馬の者かためて有りしに・宗総馬尉逃ければ百姓等は男をば或は殺し或は生取にし・女をば或は取り集めて手をとをして船に結い付け・或は生け取にす・一人も助かる者なし、壱岐によせても又是くの如し
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高麗王朝と韓民族の祖先こそ、戦争の加害者であった
「被害者と加害者の立場は千年経っても変わらない」???
?歴史認識問題を強調すればするほど、ブーメランのように韓国人にもはね返ってしまうのである。
石平『韓民族こそ歴史の加害者である』
?元寇の時の大陸の方の状況が少しわかりました。?
◎ある社長と飲みに出ていました。
今年通算で4回目、プライベートで飲みに出たのは今年最初。以前は毎週出ていたのに。
映画グレイテスト・ショーマン
『これからは光に目をくらませない』
以前は『光』にくらませられてばっかりでしたが………
もうそういう時期はお陰さまで完璧に卒業することができました。
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八宗違目抄 p.158
文永九年二月 五十一歳御作 与富木常忍
第八章 華厳宗も一念三千を明かさず
【解説】
爾前の諸経を用いる理由
日蓮大聖人は十章章において「爾前の経経をひき乃至外典を用いて候も爾前・外典の心にはあらず、文をばかれども義をばけづりすてたるなり」(1273−08)と仰せである。
つまり、天台大師等が爾前経や外典を引いて法門を展開していても、それは決して爾前や外典の心においてではなく、法華経の心においてであり、爾前や外典の文を借りても、その爾前経等の義は削り捨てているのであると示されている。
大聖人が、例えば立正安国論において、爾前経・外典等の文を多く用いられているのも、全くその意味においてであることはいうまでもない。