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2018.3.22

2018年03月22日 (木) 00:00
2018.3.22

◎朝食の準備をしていたら
妻がジーと見ている。
私「そげん見つめんでよ」
妻「見つめよっとじゃなか、
な〜ん見つめようか、
32年も一緒におっとに……、
監視しよっと、
どげな心の状態か監視しよっと………
だいぶ餓鬼界の減ってはきたごたるね」

「そうかな、まだいっぱいあるよ、
餓鬼界のなくなったら、
仕事も男も終わりよ」

「今までが散々だったけん、
これからは奥さん孝行でいかんなら?
100歳までのあと40年」
?


◎徳川家康全26巻やっと完読?
2015年7月16日〜2018年3月21日まで
ちょうど………
『立正安国論の日』〜『九州の日』??
約2年と8か月かかりました。
20巻までは一年で読んだのですが、21・22巻が半年ずつ、23〜26巻が2か月ずつかかりました。最後は一日2〜3頁ごとに、ゆっくりゆっくりと、噛み締めながら読みました。
一人の人物を生まれる前から死ぬまで、感無量です。

もともとは、
「事業承継の最大のモデルは徳川家康」
という趣旨の本を読み、後継問題を抱える、長年のある関与先の社長が徳川家康だったら、「俺は誰かな?!」
と思ったのがきっかけでした。

26巻を読んでの結論は、
「社長が徳川家康とすると、
私は『本阿弥光悦』かな?
主従関係はないけど、
重要な場面で『善きアドバイザー』、
日蓮系の信徒でもありましたから?」

本阿弥光悦「日蓮大聖人は………」
家康「お前は固すぎるのだ?」
それも似てます?
?


◎立命往生
「いまな、真田昌幸と太閤に会うていたのだ」
(茶阿の局・ちゃあのつぼね)「まあ………あの、幸村の父御(ててご)にあたる?」
「そうだ。あ奴………強情での」

「茶阿よ。わしも上総(忠輝)が可愛いのだ………将軍家はな、すぐに人を派して臨済宗を監視させよう。さすれば、あれの身は、かえって、かえって無事とはおもわぬのか」

◎最終章「悲願果てなく」
「――われ天寿まさに終わらんとすれども、将軍、天下を統(す)ぶるがゆえに、憂うることさらになし。しかれども、天下は天下にあらず、天下は天下の天下なり。もし将軍の政(まつりごと)道理にかなわず、億兆の多民艱難(かんなん)することもあらば、誰にても取って代わらるべし。四海安穏にして、万民、その仁恩に浴すればすなわち可、われにおいていささかも怨みに思うところなし」

「この世のものはの、誰の“もの”でもないとは、みんなのためにある………と、いうことじゃ」

「みんなのため………これがいちばん大切な急所なのじゃ。みんなのためと言う意はのう、いま生きてある人々だけのものではない。これから無限に生まれて来る、数限りない人々のために、大切に扱わねばならぬ………という慎みのことじゃ。早合点して、今生きている者どもが、みんなで分け獲りしてみても意味のないのじゃ」


四月十七日――

秀忠は人々をたしなめた。
「涙は無用にさっしゃい。大御所さまは、そのような女々しいことは大嫌いにおわすぞ」

「お別れのご用意を」

「末期の水――」

(何と大きな顔であろうか)

(大往生とは、こうしたものであろうか)

「みなみな心の中で、もう一度、お父上に誓いの言葉を申し上げよ」
そして、次々に子たちの別離が終わり、本田正純の手から、土井利勝の手に盆がわたったおりに、イギリス王から贈られたオランダ製の時計が、次の間でチンチンと鳴りだした。
「十点鐘(しょう)、ただいまご遠行にござりまする」
と、侍医がいった。
十点鐘はいまの十時、つまり巳(み)の刻である。
ワーッと女たちが声をあげた。


◎あとがき
昭和二十五年三月から書き出した「小説徳川家康」が、足かけ十八年後の昭和四十二年の陽春に終わった。
………(準備期間も含め)………私の年齢にすると満四十歳から六十歳まで、とにかく「平和――」に一つの祈りをこめて書き継いで来たことになる。

世界連邦主義者で、著名な英国の歴史学者、アーノルド・トインビー博士が、「歴史上に存在した世界国家」の実例として、家康の創始になる日本の江戸時代を「――二世紀以上にわたって世界国家であった」と云っているのは興味ぶかい。

家康は、それを最後にはもっときびしく実践してみようとしたと私は思っている。したがって、やがて彼の神霊の鎮座している日光の地は、トインビー博士の指摘のように、平和の聖地として世界中から見直される日が来るのではなかろうか。

昭和四十二年三月二十九日  山岡荘八



◎一通のエアメール
1969年(昭和44年)の秋、池田名誉会長のもとに一通のエアメールが届いた。それは「20世紀最大の歴史家」とも評されるトインビー博士からの、「対談」を要請する書簡であった。

「現在、人類が直面している諸問題に関して、二人で有意義に意見交換できれば幸いです」。

そして「うららかな春を迎える5月」に、ロンドンで語り合いたいとつづられていた。
招請から2年半、ついに対談が実現した。

◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

八宗違目抄 p.158
文永九年二月  五十一歳御作 与富木常忍
第八章 華厳宗も一念三千を明かさず


【本文】
故に華厳に初住の心を歎じて云く心の如く仏も亦爾なり 仏の如く衆生も然り心と仏と及び衆生と是の三差別無し

【通解】
故に華厳経には初住の菩薩の心をほめて、「心の如く仏もまたそのようであり、仏の如く衆生もそのようである。心と仏と及び衆生との三つは差別がなく、諸仏は一切のものが心から生じることを知りつくしている。

【解説】
また、本抄の末尾には、止観輔行伝弘決巻5の3の「心造と云うは即ち是れ心具なり故に造の文を引いて以て心具を証す」の文を引用されている。

文中の「華厳経の下は」とは、摩訶止観巻5上に述べられている「華厳に云く」以下の引用部分をさす。

すなわち、「心仏及衆生是三無差別」の理が法華経と華厳経は相斉しいということを証しているのである。

しかし、天台家の一念三千、すなわち心も一念三千、仏も一念三千、衆生も一念三千の当体であるという義がなかったなら、華厳経の是三無差別は成り立たないのである。

以上のことから、天台大師が「心仏及衆生」の文を引いて一念三千を展開しているのは、法華経にのみ一念三千があることを前提にした上で会入して用いているのであって、最澄のいうように、それが直ちに一念三千の依文とならないのである。


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