◎古湯(ふるゆ)温泉
Facebook友達の方の投稿に誘われ、夫婦で来ました!!大牟田から一時間ちょいでした。癒されました???
2000年の歴史のある温泉との事。お湯は赤ちゃんがお腹の中に居る時と同じ、ぬるめの38℃。
ちょうど正月客が掃けたばかりとの事で、男湯・女湯共に貸し切りでした。
◎村“おさ”
(一村を治める長?)
勝重「はい。それはもう………こうなったら光悦も日蓮大聖人のご趣旨にかのう、空想(最高の思想の意)の村を造ってみせると意気込んでござりまする。………」
家康「………その村“おさ”が、百年、千年の生命を考え、そのどの一節に生まれた者も仕合わせになるような、正しい道を踏んで生きて見せねばならぬものだということじゃ。それゆえ、最初の村“おさ”は翁でよい。翁は日蓮聖人を手本にして、衆生の愛せる器量人じゃ。だが、その翁が次の村“おさ”になるべき者を育てなんだらなんとするぞ。それでは村のわずかの間の栄えはあっても末々の繁昌はあるまい。末々の繁昌がまことの繁昌、これを守りぬくは村“おさ”の徳………その徳を継ぐほどの者がなければみなはかない夢物語じゃ………」
勝重はぎくりとして息をのんだ。
(徳を継ぐべき村“おさ”とは、将軍秀忠のことをいっているのに違いない)
(ご不満なのだ、将軍家の戦後処理に………)
「気に入らなんだことは四つある。その第一はわずかな間にすっかり戦が下手(へた)になったこと………関ヶ原から十五年、これは大きな驚きであったぞ」
「やはり、泰平の続いたための油断………」
「戦が下手になれば弱くなる。弱くなると自信をなくし、自信がないと戦の手口は残酷になってくる。武器が進んでいるのに、戦う人間が、臆病で残酷になったのでは眼もあてられぬ。………その第二は、徳と法の考え方の錯倒(さくとう)であったぞ」
「徳と法………でござりまするか」
「そうじゃ、将軍家はじめ家老どもの考え方はあべこべになっている。法治のかなめは、徳が先か法度(はっと)が先か? その方なども逆さま組ではないか勝重。どうじゃ。これが逆になってくると、やたらに威信をいい立てる」
そういうと、家康の視線は意地わるく勝重の上に停まった。
勝重は狼狽した。
「第三番目の不満は、これは家康自身への怒りであったわ」
「わしは思いあがっていたのだ。慢心じゃ。この家康ほどの者がよくよく考えてしたことゆえ、もはや大丈夫………と思っていた。その怠慢、その甘さ、これはどのように叱りつけても叱りたりないほどの油断であったわ………」
「四番目か………」
「上総介(かずさのすけ)忠輝がことよ」
「永対面禁止………?」
「そして、それを申しわたす使者、これはご貴殿をおいてほかにあるまい。それゆえ………」
「お断り申す?」
「な、なんといわれる!?」
「………伊達に乱を起こす隙を与えず………」
「………伊達政宗に、上総介忠輝をつけておくと竜が雲を呼んで乱になる。しかし、雲を引き離してあれば、竜も池中にうずくまるよりほかにないのじゃ」
「すると、上総介さまはズタズタじゃ」
「それゆえ、大御所さまもお泣きになされた………」
「死ぬ気であれば説き伏せられる」
【徳川家康26巻】
◎三代会長の額縁を明日拠点に?
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
蓮盛抄 p.154 建長七年 三十四歳御作
第11章一字不説への固執を破して結ぶ
【本文】
禅宗云く法華宗は不立(ふりゅう)文字の義を破す何故ぞ仏は一字不説と説き給うや、
【通解】
禅宗がいう。法華宗は文字を立てずとの義を破っているが、なにゆえに仏は「一字も説かない」と説かれたのか。
【解説】
本抄を結ぶにあたり、禅宗が固執する一字不説という言葉について、その真意を明あかにされつつ、これに固執する禅宗を破折されてきた禅宗の教義の一つ一つが大きい僻見であると断定され、禅宗の徒に対して、間違った見方への執着と思い入れとを改めた後に法華経に帰伏するように勧められるとともに、もしそうでなければ道心無き者となると戒められて、本抄をむすばれている。
まず禅宗側が、法華宗は禅宗の不立文字の教義を破るが、仏は自ら「一字も説かず」とのべられている。この言葉についてはどのように考えるのかを問うている。
禅宗側は、この一字不説について、仏の悟りはもともと人の思考や言葉を超えているので、たとえ仏がどれほど多数の言葉で衆生に説法したとしても、悟りそのものについては一言も一字も説いていないという意味であると解釈し、それゆえ「教外別伝・不立文字」であり「仏祖不伝」であると考えているのである。