◎天命と運命【徳川家康26巻】
いったん京にとどまって、わが手で戦後の処理をしようと覚悟してからの家康は、板倉勝重の眼には神とも見えたし執念の鬼とも見えた。
「−−まだまだ努力が足らなんだ」
「−−この金が、もう少し早うなくなっていたら、豊家は滅びずに済んだのに………」
「−−人間の頭上にはのう、つねに運命と、宿命と、そして天命の三つが働きかけている。太閤が伜のために残した莫大な遺産は、実は伜を滅ぼす宿命の輪になったわ」
「−−運命と、宿命、天命とは、どう違いまするので?」
「−−よいか。ここに小さな茶碗ひとつのせた丸盆があると思え」
「−−そうじゃ。その茶碗が人よ。よいか、するとこの茶碗は、盆のうちだけは、右へ行こうとし、左へ行こうとして“ふち”にさえぎられるところまでは自由に動けよう。この人間の自由に動けるところまでが運命じゃ。されば、運命とは、その人の意志をもって開くこともできれば築くこともできるものよ」
「−−そしてこの盆の“ふち”………つまりぶつかって動けなくなるところ、これ以上は行かせぬぞと、立ちふさがっているこの盆の“ふち”………これが宿命と申すのだ」
「−−すると大坂城の黄金は………?」
「−−秀頼の思考思案をさえぎる宿命となった。しかしその宿命の上に、さらにもう一つの天命がある」
「−−天命とは、こうした盆、その上の茶碗、そしてさらにその盆の“ふち”。そうしたもののいっさいを作りだしている天地の命じゃ。人間は、人間の力をもってしてはどう変更(へんが)えもできない天命のある事を悟ったおりに、はじめて自分を活(い)かし得る。わが天命は何であったか………天命はまたわが身に課された使命でもあるからの。これを悟らぬうちは、動いても動いても無駄になる。宿命のふちの中での“あがき”意外の何ものでもない」
?『天命は……使命』
………徳川家康最終巻
………深い深い含蓄を記録に遺(のこ)さないではもったいない?
?私にとって税理士業は天命??
◎名護市の税理士は7件?
どうしようかな? とりあえず14日の会合に出てから考えよう。名護市長選。
もう男子部の頃のかつての佐賀補選を思い出す……!! 自民党候補の応援に多久文化会館に結集し、当時の秋谷会長まで来られて………金も人脈も無かったけど、今思えば交流の原点!!
?
◎妹の息子が成人式
ピンポーン?
息子と一緒に自宅に挨拶に。
妹「今、ばあちゃんとこに行って、耳元で『私、今、支部婦人部長で頑張らさせて貰いよるとよ』と言ったら、普段は全然反応せんのに、涙流して…こ????う…顔を動かしよらしたよ………」
妻「そらあ、一番悩まして信心しよらんやった澄ちゃんが今、支部婦人部長やけん、ばあちゃんは嬉かと思うよ………ずっと題目あげよらしたけんね………」
◎風林火山
(三国同盟で武田家から今川家に嫁入り)
妻「ほ、泣きよらす………涙もろうなったね」
私「姫のお嫁入り………うちの姫は嫁入りできるやろか」
「恵も今はいろいろあるけど、将来はどげな人材にならすかわからんとやけん」
◎妻も還暦
妻「誕生日やけんなんか買ってよ…洋服がいい」
「その辺はおばさんのたい」
「もうおばさんたい」
「還暦やけんそれなりのでいかんなら」
「還暦還暦て強調せんでよ」
?セーター2着で5,400円!!
「初めてやろ買って貰ったの」
「初めてじゃなかよ」
「“悪さ”した時は買って貰ったばってん」
「そうやったかね」
?
◎雑貨屋さんに食べ物もある?
−−これ『軽減税率』?
あれ、ビールもある。
−−これは一般税率
「これ良く見るとビールでなく“炭酸飲料”」
?やっぱりややこしいな?
◎西郷どん
斉彬
「めそめそするな?このやっせんぼ?」
「強くなれ?」
◎夜
妻「今日は最高の誕生日でした、ありがとう」
「そうね、それは良かった」
?
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
2018.1.8
蓮盛抄 p.153 建長七年 三十四歳御作
第十章 禅宗が大邪見なるを明かす
【本文】
疾(やまい)の前に薬なし・機の前に教なし・等覚の菩薩すら尚教を用いき底下(ていげ)の愚人何ぞ経を信ぜざる云云、 是を以て漢土に禅宗興ぜしかば 其の国忽ちに亡びき本朝の滅す可き瑞相に闇証(あんしょう)の禅師充満す、止観に云く「此れ則ち法滅の妖怪なり亦是れ時代の妖怪(ようかい)なり」云云。
【通解】
病の前に薬がなく、衆生の機根の前に教がないのと同じである。等覚の菩薩すらなお教を用いた。機根の低い愚かな人がどうして経を信じないのかというべきである。このように中国に禅宗が興ったので、その国がたちまちに滅んだ。我が日本が滅びる前兆として仏法の悟りに暗い禅師が充満しているのである。摩訶止観に「これは法を滅する妖しい怪物である。またこれは時代の妖しい怪物である」とある。
【解説】
更に「疾の前に薬なし・機の前に教なし、等覚の菩薩すら尚教を用いき底下の愚人何ぞ経を信ぜざる云云」と説かれ、仏道を修行する者にとって、仏の教えがいかに必要であるかということを述べられている。
「疾の前に薬なし・機の前に教なし」とは、禅宗の「仏祖不伝」「不立文字」等の主張は、病人に薬を与えず、衆生にその機根にかなった教を示さないようなものであるという意と考えられる。
そして「等覚の菩薩すら尚教を用いき」と、仏の位にほとんど等しい菩薩ですらなお仏が示した教えを必要とすることを述べられて、ましてや位の低い凡夫の愚人が仏の教えである経々を信じないでいられようかと教えの必要性を強調されている。
そして結論として、このような大邪見の輩である禅宗が中国に栄えたために国が滅びたのであると述べられ、大聖人の時代に「闇証の禅師」が充満しているのは本朝・日本が滅びる予兆であると喝破され、その根拠として、禅宗を「法滅の妖怪」「時代の妖怪」と弾呵した摩訶止観巻2の文を引かれている。
「法滅の妖怪」とは仏法を滅ぼす妖怪ということであり、「時代の妖怪」とは、王朝すなわち国家・社会を滅ぼす妖怪ということである。
?「等覚の菩薩すら尚教を用いき」
………底下(ていげ)の愚人何ぞ経を信ぜざる
?「是を以て漢土に禅宗興ぜしかば 其の国忽ちに亡びき」
大邪見の輩である禅宗が中国に栄えたために国が滅びた。
?禅宗は……「法滅の妖怪」「時代の妖怪」