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2018.1.6

2018年01月06日 (土) 00:12
2018.1.6

◎仕事初め
正月明けは例年、年末調整でいきなり
フル創業?

でも、皆が全部してくれますので、
最近はこの時期、
新聞熟読、年賀状整理、自分の領収書整理…
しながら、合間にチェック……
ほとんど『めくら判』………
所長は割と暇です。

今日1日仕事して、また明日から三連休?


◎『今年こそ』と誓願の祈りを(聖教1月5日)
??『をどりてこそ』大悪大善御書p.1300
上行菩薩の大地よりいで給いしには・『をどりてこそ』いで給いしか、普賢菩薩の来るには大地を六種にうごかせり

??『一華を見て春を推せよ』 開目抄下p.222
此等はさてをく我が一門の者のためにしるす他人は信ぜざれば逆縁なるべし、一渧をなめて大海のしををしり『一華を見て春を推せよ』

??祈祷抄 p.1351
『大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも・潮のみちひぬ事はありとも日は西より出づるとも・法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず』


◎中井貴一
妻「かっこいい?……ダンディー?
こげんならんなんもん?」
私「こげんなるなら俺も俳優になれる」
「なれん?」
「なんならるっか?」
?


◎中村獅童45歳壮絶なガン闘病(金スマ)
親友「彼の後ろにはいつも
沙織さん(奥さん)が支えている」
私「うちと同じやん」
妻「………」
?


◎妻「さ、明日から折伏のスタート?」
「明日なんかあると?」
「夜は圏の地区部長婦人部長会たい」
「あら、そうね」
「日程貰うとるやろ?!」
?


◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

蓮盛抄 p.153 建長七年 三十四歳御作
第十章 禅宗が大邪見なるを明かす

【本文】
上根上機の坐禅は且く之を置く当世の禅宗は瓮(もたい)を蒙つて壁に向うが如し、 経に云く「盲冥(もうめい)にして見る所無し大勢の仏及び断苦の法を求めず 深く諸の邪見に入つて苦を以て苦を捨てんと欲す」云云、 弘決に云く「世間の顕語尚識らず 況んや中道の遠理をや円常(えんじょう)の密教寧(むし)ろ当に識る可けんや」云云、 

【通解】
上根上機の者の坐禅については、いましばらく置いておく。今の世の禅宗は甕をかぶって壁に向かっているようなものである。法華経方便品に「盲目にして見えるところがない。偉大な力をもつ仏および苦を断つ法を求めないで、深くもろもろの邪見に入って苦をもって苦をすてようとする」とある。止観輔行伝弘決に「世間の明らかな言葉すら知らない。まして中道の深遠な法理はなおさらである。完全で常住の秘密の法をむしろ知ることができようか。


【解説】
最後に「上根上機の坐禅は且く之を置く」とした後、「当世の禅宗」、すなわち大聖人御在世当時の禅宗の修行はまるで甕を頭にかぶって壁に向かっているようなもので、何も見えるわけがないと指摘され、法華経方便品第2に「眼がみえないために大きな力のある仏や苦しみを本当に断ずる法を求めないで、深く邪見の中に入ってまるで苦しみを脱却するのに苦しみでおこなうようなものである」との文や止観輔行伝弘決の「世の中に事象を顕に記した言葉ですらなお認識できない場合がある。ましてや仏法の中道の深遠な道理を認識することは容易ではない。

?「苦を以て苦を捨てんと欲す」
……「禅天魔の集団」TKC!!?


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