◎朝朝夕顔
「−−世間というはわからぬものよ。大坂方の大忠臣よ、大黒柱よといわれた片桐どのは、褒美を貰うて生き残り、何のかのと悪しざまに噂された大野どのは、秀頼さまのお供をしてご自害された」
(正午(ひる)前から何を鳴きくさるぞ………)
日ぐらしは、且元に、豊太閤のあの哀しい辞世を想い出させ、………
露(つゆ)と落ち露と消えぬるわが身かな
浪花(なにわ)のことは夢のまた夢
同じ姉妹でありながら阿江与(あえよ)の方だけは、徳川家にあるばかりに淀の方とは雲泥の差………いったいこの差を、誰が、どんな基準で、つけていくさるのか………?
………しかし、胸の底の底で、一つの疑惑だけはカッキリと活きていた。
それは、秀頼が、果たして太閤の真実の子であったろうか、という疑惑であった。
太閤が閨(ねや)の中で、憑かれたように繰り返す言葉はいつもきまっていた。
「−−さあ寧々(ねね)よ。今夜こそわしの子を孕(はら)んでくれよ。わしは和子が欲しいのじゃ」
(ほんとうに、今日の処刑人は太閤の孫なのだろうか………?)
世の中は不昧(ふまい)因果の小車や
よしあしともにめぐり果てぬる
「太閤さまが、朝顔を作っておわすころは、日の出の勢いでござった………」
「あれをご覧下され。わしには、あの垣根が、太閤さまの城に見える………あの朝顔が………太閤さまの………太閤さまの、精霊に見えてくる………」
………このとき且元は六十歳であった。
【徳川家康26巻】
◎中学の同窓会(白光中学校)
還暦祝い。
7回目320人中45人。
男も女も割と若かったです。
毛が薄い人もいるけど、髪の毛も割と黒々。
「まじめの猿渡君」
「………(名札を見て)あ〜!!可愛かったもんね〜!!」
今から佐賀に行ってまた戻って来るげな?元気んよかね〜?
少年院行きの男番長、女番長も来てました。
「昔は“えすーして”(怖くて)目合わせるのもしきらんやったけど」
?
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蓮盛抄 p.153 建長七年 三十四歳御作
第十章 禅宗が大邪見なるを明かす
【本文】
次に不伝の言に至つては冷煖(れいだん)二途・唯(ゆい)自覚(じかく)了(りょう)と云つて文字に依るか其れも相伝の後の冷煖(れいだん)自知(じち)なり 是を以て法華に云く「悪知識を捨て善友に親近せよ」文、 止観に云く「師に値わざれば邪慧日に増し生死月に甚し稠林(ちょうりん)に曲木を曵くが如く出づる期有こと無けん」云云、
【通解】
次に先聖不伝の言葉については、達磨が血脉論に「冷たいと煖かいの二つはただ自分で覚了する以外にない」というのも文字によっているではないか。それも文字によって相伝を受けて後に、冷たいとか煖かいの二つを自ら知るのである。このことから法華経譬喩品に「悪知識を捨てて善友に親近しなさい」とある。摩訶止観に「師にあわなければ邪な智慧が日ごとに増し、生死の苦しみは月ごとに甚だしい。密林に曲がった木を曳くように、生死の苦しみから出る時期がない」とある。
【解説】
次に、仏祖不伝の教義の“不伝”ということについて、禅宗の言葉に「水が冷たいか暖かいかは、自ら飲んで覚知するしかない」とあるが、この言葉はそのものが文字に依っていないかと指摘され、しかも「飲んでみて判断する」とうように、法門についても教えの相伝を受けて、自ら覚るということであるから「自覚・自知」の前に「受法・聞法」があることを指摘されている。この「相伝」「聞法」の段階で、正しい法を伝えてくれる「善知識」「師」が不可欠となるわけで、ゆえに、法華経譬喩品第3の「悪知識を捨て善友に親近する」の文と摩訶止観の「師と出会わなければ邪な智慧が増大して生死の迷いから脱却できない」という文を引用されて、正法を伝えてくれる善友や師の存在なくして仏道修行による悟りはないことを明らかにされている。
これを敷衍して、一般に世の中の事柄でさえ他の人と相談してよりよく計らっていくのであるから、まして出世間の仏法の深い心理についての探究では善友や師の言葉を必要とするのであり、安易に「自己を本分とする」、つまり凡夫としての自分を基準にしてよかろうかと、禅の本質にある増上慢を指摘されている。
?「自己を本分とする」禅の増上慢?