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2018.1.2

2018年01月02日 (火) 00:16
2018.1.2

◎初夢は……
夢の中でもマッサージをして貰っていました。

妻「なら今年は寝ても覚めてもず〜っとマッサージをして貰うたい?」

私「今年も奥さんから言われた“腹いせ”をFacebookに当たって行こうっと?」

「なるべく口を結んどかんなん……あ〜むつかしかあ?」

?腹いせ:怒りや怨みを他方に向けてまぎらせ、気を晴らすこと。 腹癒せ。
?


◎新年勤行会
アジア、ヨーロッパ、南米、アフリカ、北米………世界に広がる創価学会の映像に、本当に感動いたしました。

海外では「法華誹謗」というのが元々ないから、題目を挙げていけばいくほど功徳がどんどん出て、広がっていくのですね。日本人は、信心を始めると最初は初心の功徳が出るけど、過去世からの「法華誹謗」という「元品の無明=試練」に翻弄されますので、なかなか難しいですね。特に我が家も我が支部も「青年部」が?
?親の信心が試されている?

でも、『人類の宿命転換と境涯革命』に、私も日々“祈りを根本”に、”関わっているのだと思うと、本当に希望と感動が沸いてきます。

今直面している「人類の宿命」も「我が家の宿命」も、必ず転換できるのですね?
???


◎聖教元旦号…特に感動したところ
☆P.4教学随想
「安国論」……参加者が特に大きく共鳴した箇所があった。
それは、“悪僧への呵責(かしゃく)は、斬罪(ざんざい)ではなく布施を断つべきことだ”という内容である。
つまり、信奉する側が思想の正邪を見極め、主体的に意識変革の行動を起こすことが重要であるとの大聖人の仰せを、皆がしっかりと理解したのである。

?“布施を断つ”………聖職者に翻弄されたキリスト教社会でも画期的な思想?
?


◎9月8日
日中国交正常化提言 発表50周年
今年の9月8日は土曜日。9日(日)若しくは2日(日)辺りに、上海にて創価大学上海校友会総会があるかと思いますので、今年もそれには是非とも参加して行きたいと思います。

?3月末頃の魯迅記念館観桜会にも参加?
?


?1月2日は先生の卒寿90歳のお誕生日?

卒寿…90歳
「卒」の略字である「卆」が九十と読めることに由来しています。白が長寿祝いの色とされています。

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蓮盛抄 p.152 建長七年 三十四歳御作
第九章 衆生教化に於ける文字の重要性明かす

【本文】
仏は文字に依つて衆生を度し給うなり、 問う其の証拠如何、 答えて云く涅槃経の十五に云く「願わくは諸の衆生悉く皆出世の文字を受持せよ」文、 像法決疑経に云く「文字に依るが故に衆生を度し 菩提を得」云云、 若し文字を離れば何を以てか仏事とせん 

【通解】
仏は文字によって衆生を救われるのである。問う。その証拠はどうか。答えていう。涅槃経巻十五に「願わくは、もろもろの衆生はすべて仏教の文字を受持しなさい」とある。像法決疑経に「文字によるゆえに衆生を救い菩提を得る」とある。もし文字を離れば、何を衆生教化という仏事とすることができようか。

【解説】
ここでは、仏は文字によって衆生を救うという原点を確認することによって、禅宗の「不立文字」が邪説であることを明らかにされている。


まず、「仏は文字によって衆生を度し給うなり」と述べられ、これに対して、禅宗側からその証拠を問う質問が出され、答えとして涅槃経と像法決疑経の二つの経から引用文を挙げて証拠とされている。


涅槃経からは、衆生が出世間すなわち仏の教えを文字に記した仏教の経々を受持すべきであるとの仏の願いをあらわした文、像法決疑経からは、文字を頼りとし根本とすることによって衆生を救い悟りを得させることができるという文の二文を挙げられて「若し文字を離れば何を以てか仏事とせん」と結論されている。


一般に、釈尊の教えは、在世には文字に記されず、滅後も数百年間は口承で伝えられたことからこのように「文字」が強調されていることに疑問を投げかけるかも知れない。ここで言わんとされている肝要は“文字”とは明確な言葉で表現された教えということである。禅宗が「不立文字」と主張しているのも、必ずしも“文字”というより“言葉”による表現ということだからである。


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