◎聖教11/25寸鉄
人の師と申すは弟子のしらぬ事を教えたるが師にては候なり
(開目抄上 208ページ)
師弟の道で無限の向上??
この道を誰かに教えたい?
◎阿Q正伝/魯迅
私が阿Qのための正伝を書こうと思ったのは、もう一年や二年のことではない。
「阿Q、これは子どもが親父を殴るのではないぞ、人間が畜生を殴るのだぞ。お前自身でいえ、人間が畜生を殴るのだ? と」
「虫けらを殴る、といったらどうだい? 俺は虫けらだ−−これでも放してくれないのかい?」
−−絶えざる挑戦と向上の日々でこそ、英知の言葉は生き生きと胸に響いてくる。
(聖教11/25名字の言)
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◎妻の愚痴と応酬
妻「ご飯美味しかった?」
「美味しかったよ」
「美味しかったなら美味しかったと言ってよ」
妻「お父さんのいびきの酷か〜!!何とも言えん声しとる、カバのごたる」
「そうね、奥さんのイビキは低い声でゴー、熊のごたるよ?」
「そうね!!」
妻「お父さん尻の皮、厚か〜!!」
「奥さんの顔の皮の厚いのには負ける」
「よー言うね」?
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蓮盛抄 p.150 建長七年 三十四歳御作
第二章迦葉への付嘱の真意を明かす
【本文】
例せば大法東漸と云えるを妙楽大師解釈の中に「通じて仏教を指す」と云いて大小権実をふさねて大法と云うなり
【解説】
比較の対象によって意味が異なることの例として、天台大師の法華玄義巻1の「大法東漸」という文を解釈した妙楽大師の文を挙げているところである。玄義の「大法東漸」とは正法時代・像法時代に大法がインドから次第に東のほうに伝わったという意味でる。
これを受けて妙楽大師が“大法”を釈して「通じて仏教を指す」と述べ、大法といっても仏教全般を指すとしている。
これは、涅槃経で迦葉に付嘱された法が「無上の諸法」と呼ばれていても、小乗の法にすぎないことを裏付けとされているのである。