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2017.11.20

2017年11月20日 (月) 00:18
2017.11.20

◎1:00〜2:00支部唱題会修了後
支部長「今日は新聞啓蒙に頑張りましょう」
と言われながら、私は大牟田文化のすぐ近く、関与先(大牟田で一番のうどん屋さん)社長の娘さんがやっているカフェ(年一申告先)へ
「あら?初めてですか?」
「いえ、何度か来ましたよ」

テーブルの横には、ショーロホフ、バルザック、ヘミングウエイなどの世界文学全集が。
(最近こんな純文学は読んでないなあ……徳川家康が終わったらこのあたりを読んでみようかな)

「ここはいい隠れ家、新聞読んでました」
「またいらしてください」
?

◎瀬名と信康(直虎)
信長から「天下の悪妻」と言われた家康の最初の正室・瀬名、不出来息子の長男・信康、どう表現されるか−−この大河ドラマが始まったときから一番楽しみにしていましたシーンです。

私が読んだ「徳川家康」とは、だいぶ異なっていて、ストーリーがやや不自然で、少しガッカリしましたけど、実際の歴史はどうだったのかな?

瀬名と信康の死から、直虎と家康の絆が深まっていったのは間違いないようです。
?


◎真田の本懐(風林火山)
武田家と敵対する義弟に命を賭けて離反を迫り、自害させられる寸前だった妻に真田幸隆、
「二度とこんなことするな、お前があってこそのわしだ、お前がいなければわしは生きていけないのだ?」

家臣「わが女房にわしはこうは言えんな…」

?私は逆に日頃言い過ぎかも
「奥さんと題目なしでは生きていけない」

二階から妻
「ほらー!!お風呂の沸いたけん早よー入って?」
冷戦後ますますビクビクしております?


◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

蓮盛抄 p.150 建長七年 三十四歳御作  
第二章迦葉への付嘱の真意を明かす

【本文】
彼の老人の他の寄物を受くるが如し、是の故に応に無上の仏法を以て諸の菩薩に付属すべし

【通解】
かの老人が他の贈り物を受けるようなものである。このゆえに無上の仏法をもろもろの菩薩に付嘱するであろう。

【解説】
なお阿難・大迦葉の声聞の比丘たちが「無常」で「老人」に喩えられているのに対し、もろもろの菩薩たちは「善能く問答するを以て…無量千世増益熾盛にして衆生を利安せん」ことをもって「壮なる人」に喩えられているが、この対比のなかに小乗と大乗の相違が明確に説かれている。

小乗は声聞の比丘たちのためにだけ利益をもたらす、“小さな乗り物”にすぎない。したがって、この声聞たちに付嘱された法とは、彼らだけを利益するもので、無常の彼らが亡くなると法も消滅する。ここから、彼らは死が時間的に迫っている老人に喩えられるのである。

これに対して、もろもろの菩薩たちに付嘱される法は大乗の法であり、よく多くの人たちと問答しながら法を伝えていくので、この法は無量千世という長い年月にわたってますます豊かになって一切の衆生を利益していく、このゆえに、菩薩たちのことをまだまだ未来ある壮人に喩えられているのである。


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