◎11・18心の暗雲を吹き払う本幹同時中継
??『真実一切衆生・色心の留難を止むる秘術は唯南無妙法蓮華経なり』
(四条金吾殿御返事1,170ページ )
「我らが自行化他にわたって唱え、弘めゆく題目の音声(おんじょう)こそ、人類に襲いかかる、いかなる苦難も断じて打開していく、生命の究極の勝ち鬨なのです」
−−北朝鮮、韓国、中国、台湾、沖縄、野党、マスコミ…………?
??タイ創価学会
私にとって初めての海外旅行、39年前、創大2年21歳の春休み、バンコク会館にも行きました。今17万人。 嬉しい限りです。
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??展覧会の絵・キエフの大門
創価大学吹奏楽部で、コンクールと先生の前でも演奏しました。私の下手なバストローボーンも響き渡りました。スマホで毎日聴いています。?
??東京戸田記念講堂
5月の東京交流で行きました。4回目。近くのトヨタレンタリースの店舗に駐車場として停め、奥さんと娘と瞬間的に出くわし、そこから調布に向かいました。
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??冥の照覧恥かしからざらんや
【通解】
仏菩薩が御照覧あそばされているのが恥ずかしくないのか
【解説】
「冥の照覧」という、逃れることのできない厳しき原理があるからこそ、謗法を恐れなければならないし、同時に、一切の仏道修行にも、功徳が必ずあることを確信して歓喜をもって取り組むことである。
??譬えば春夏・田を作りうへつれば秋冬は蔵に収めて心のままに用うるが如し春より秋をまつ程は久しき様なれども一年の内に待ち得るが如く此の覚に入つて仏を顕はす程は久しき様なれども一生の内に顕はして我が身が三身即一の仏となりぬるなり。
【通解】
譬えば、春夏に田を耕して種を植えるならば、秋冬には刈り取って蔵に収めて、心のままに用いることができるようなものである。春から秋を待つ間は長いようではあるが、一年の内に待ち望んでいたとおりになるように、この覚りに入って仏を顕すまでは長いようではあるが、一生の内に顕して、我が身が三身即一の仏となるのである。
【解説】
稲作は春夏の頃に稲の田を作り耕して種子を植えつければ、秋冬にこれを刈り取って蔵に収めて思いのままに使えるようになる。春から秋までというのは少し長いようであるが、待つといっても結局は一年の間の期間にすぎない。これと同じく、凡夫である我が身が三身即一身の本覚の如来であることを覚知して仏の境地を顕現するに至るまでは長期間かかるようであるが、所詮は今生の一生のうちに仏の境地を顕現して我が身が三身即一身の本覚の仏となることができると仰せられている。
◎徳川家康24巻
??俎上之鯉は動かぬ
読み方 そじょうのこい
意味 相手に全てを握られていて、身動きすら出来ない状態や状況のこと。
「俎」はまな板のこと。
まな板にのせられていて、捌かれる直前の鯉ということから。
「俎板の上の鯉」の形で使うことが多い言葉。
◎こたつにて冷戦夫婦会話なし
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蓮盛抄 p.150 建長七年 三十四歳御作
第二章迦葉への付嘱の真意を明かす
【本文】
涅槃経の三に云く「若し法宝を以て阿難及び諸の比丘に付属せば久住を得じ何を以ての故に 一切の声聞及び大迦葉は悉く当に無常なるべし
【通解】
涅槃経巻三に「もし法宝を阿難および多くの比丘に付嘱するならば、法が久しく住することはできない。どうしてかというと一切の声聞および大迦葉はすべて無常であるからである。
【解説】
この文は仏が、法宝を阿難や大迦葉など声聞の比丘たちにふぞくすると“久住”することができないが、もろもろ菩薩たちに付嘱すると久住することができるので、無上の菩薩たちに付嘱すると述べたものである。