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2017.10.24

2017年10月24日 (火) 00:10
2017.10.24

◎大容量充電器
10日以上前に博多駅前のヨドバシカメラで買いましたけど、全く充電できない不良品、レシートはなかったけど、ポイントカードに購入履歴が残っていたので、すんなり他の商品に代えてくれました。福岡地下鉄車内に忘れてきた代用品として買いましたけど、それも唐津警察署より届きましたので、大容量充電器は3個目。

妻「一つ分けてよ?」
?


◎全てに意味がある?
小池さんのお陰で共産党を蹴散らしました。左派を炙り出し、やや返り血もあびましたが、悪人も全知識。吉田議員は残念でしたが、山口代表も太田さんも北側さんも過去に何度も落選し、這い上がって来られました。これくらいでヘコタレル訳にはいきません。
気を取り直して頑張ります?

「梵天・帝釈等の御計」

「悦(よろこば)しきかなや・楽(たのしい)かなや不肖(ふしょう)の身として今度(こんど)心田(しんでん)に仏種(ぶっしゅ)をうえたる」

「いまだこりず候」

「一度もしりぞく心なし」
??


◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
2017.10.24
真言見聞 p.148 文永九年七月
第16章真言が五仏の説に背くを難ず
与三位房日行 五十一歳御作

【解説】
以上のなかで、第三・第四・第五は、今の結びの御文にあるように「法華経第一」というのが大日如来も含めた諸仏の金言であることを示されているのであるが、「是三」「是四」「是五」と立て分けられた理由を考えてみたい。結論的にいえば、同じく「法華第一」といっても諸経との関係のあり方に種々あり、第三の場合は、法華経は已今当の諸経に超絶して勝れるという立場である。それに対し、第四の場合は、諸経を説くのは最後の法華経へ誘引するためで、したがって、法華経は諸経の頂点にあるという立場である。

これに対し、第五の場合は「如来の一切所有の法がこの法華経に宣示顕説されている」とあるように、一切法・一切諸経は法華経の中に会入され、この部分部分として位置づけられるという立場である。こうした違いがあることから、三つに立て分けられたのである。   


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