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2017.10.10

2017年10月10日 (火) 00:40
2017.10.10

◎10・9入信記念日
昭和39年10月9日から53年目の入信記念日は、出陣式の日になりました。
北海道と神奈川が厳しいとのこと。
九州も四議席厳しい?

支部長「猿渡さんの出番?」(笑)
私「支部長、お誕生日おめでとうございます?」
「ありがとうございます。猿渡さんの入信記念日と同じ日に誕生日」
「しかも同じ年とは知りませんでした」


◎妻はピンと来ない?
妻「明日は結婚記念日だけど…今日はピンと来ん…ピンもカンも来ん」
私「そうね」
「なら私の入信記念日知っとる?」
「知らん」
「そうやろが…うちは昭和35年2月1日」
「うちより大先輩たい、先生の会長就任の前ね」
「そうよ、福子よ」
「そういえば福子の顔しとる」
「あはあッ?」


◎やっぱり共産党
私「わっぱり我々の前に立ち塞がるのはいつも共産党?」
妻「そうねえ、でもそれも意味のあることよ」
「広宣流布が達成しても、絶対反対の三分の一、三世永遠に成仏できない人々、御書にもあるやろね、探してみよう」

守護国家論 57ページ
而るに源空我が身唯実経を捨てて権経に入るのみに非ず人を勧めて実経を捨てて権経に入らしめ亦権人をして実経に入らしめず剰え実経の行者を罵るの罪永劫にも浮び難からんか。

祈祷経送状 1,356ページ
過去久遠劫より已来・未来永劫まで妙法蓮華経の三世の御利益尽くすべからず候なり

守護国家論 37ページ
願わくば一切の道俗一時の世事を止めて永劫の善苗を種えよ

?共産党の人々にも毎日お題目を送らせて頂いていております。??

◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

真言見聞 p.148 文永九年七月
第14章 真言の邪義を五点に絞り疑難す
与三位房日行 五十一歳御作

【本文】
一、震旦の人師争つて醍醐を盗むと云う年紀何ぞ相違するや、其の故は開皇十七年より唐の徳宗の貞元四年戊辰の歳に至るまで百九十二年なり 何ぞ天台入滅百九十二年の後に渡れる 六波羅蜜経の醍醐を盗み給う可きや 顕然の違目なり、若し爾れば謗人謗法定堕阿鼻獄というは自責なるや。

【通解】
一、弘法は顕密二経論で「震旦の人師が争って醍醐を盗む」といっているが年記が相違するのではないか。そのゆえは天台大師入滅の開皇十七年から六波羅蜜経が中国に初めて渡った唐の徳宗の貞元四年丙辰の年に至るまで百九十二年である。天台大師は自分の入滅百九十二年後に渡ってくる六波羅蜜経の醍醐をどうして盗むことができるのか。この年代の違いははっきりしている。もしそうであれば、弘法が秘蔵法鑰に「謗人・謗法は必ず阿鼻地獄に堕ちる」というのは自己を責める言葉であろうか。

【解説】
第四に弘法が弁顕密二経論で「震旦の人師、醍醐を盗んで、各自宗に名づく」と述べて、暗に天台大師が第五時の法華・涅槃ぶを醍醐味と名づけたのは六波羅蜜経から盗んだものであると批判している。六波羅蜜経では第一経蔵から第四経蔵までをそれぞれ乳味・酪味・生酥味・熟酥味の四味に配し、第五の陀羅尼蔵を醍醐味に配しているのであるが、天台大師はこれを盗んだのだと弘法は非難しているのである。これに対して大聖人は、六波羅蜜経が中国に伝来したのは天台大師の滅後192年も経っているからである。つまり天台大師の時代には全く中国に存在しなかった六波羅蜜経の文を、どうして天台大師が盗むことができようかと仰せられている。そして、弘法が秘蔵宝鑰で述べた「人を謗じ法を謗ずれば定めて阿鼻獄に堕して」という文は、自らを責めて言ったところであろうかと皮肉をこめて断罪されている。


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