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2017.10.9

2017年10月09日 (月) 00:57
2017.10.9

◎10:30朝発
親戚3件、お客さん4件、同業者1件、計8件、夫婦で回ってきました。

「今の政治どう思いますか?」

と聞くといいみたいですね。
そして話をしっかりと聞いてあげる。
そこから自然と『比例は公明』となっていきます。
うちの奧さん、その辺がとても上手です?
?

妻「広宣流布のために夫婦で戦えるのが一番幸せ?」

私「もっと自分をご自愛してよ」
(ポイントでマッサージプレゼント?)
?


◎入信53年?
10月9日は昭和39年より53回目の入信記念日?

10月10日は昭和60年より32回目の結婚記念日???

10月11日は昭和57年より親父の35年目の祥月命日?

毎年この時期は記念日が続きます。
??

◎今日の直虎は特に感動?
家康、虎松のことを
「あいつは叩かれれば叩かれる程に成長する」
これに直虎も安心。私も感動。
いよいよ武田家の滅亡へ?
?


◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎

真言見聞 p.148 文永九年七月
第14章 真言の邪義を五点に絞り疑難す
与三位房日行 五十一歳御作

【本文】
一、震旦の人師争つて醍醐を盗むと云う年紀何ぞ相違するや、其の故は開皇十七年より唐の徳宗の貞元四年戊辰の歳に至るまで百九十二年なり 何ぞ天台入滅百九十二年の後に渡れる 六波羅蜜経の醍醐を盗み給う可きや 顕然の違目なり、若し爾れば謗人謗法定堕阿鼻獄というは自責なるや。

【通解】
一、弘法は顕密二経論で「震旦の人師が争って醍醐を盗む」といっているが年記が相違するのではないか。そのゆえは天台大師入滅の開皇十七年から六波羅蜜経が中国に初めて渡った唐の徳宗の貞元四年丙辰の年に至るまで百九十二年である。天台大師は自分の入滅百九十二年後に渡ってくる六波羅蜜経の醍醐をどうして盗むことができるのか。この年代の違いははっきりしている。もしそうであれば、弘法が秘蔵法鑰に「謗人・謗法は必ず阿鼻地獄に堕ちる」というのは自己を責める言葉であろうか。

【解説】
第四に弘法が弁顕密二経論で「震旦の人師、醍醐を盗んで、各自宗に名づく」と述べて、暗に天台大師が第五時の法華・涅槃ぶを醍醐味と名づけたのは六波羅蜜経から盗んだものであると批判している。六波羅蜜経では第一経蔵から第四経蔵までをそれぞれ乳味・酪味・生酥味・熟酥味の四味に配し、第五の陀羅尼蔵を醍醐味に配しているのであるが、天台大師はこれを盗んだのだと弘法は非難しているのである。これに対して大聖人は、六波羅蜜経が中国に伝来したのは天台大師の滅後192年も経っているからである。つまり天台大師の時代には全く中国に存在しなかった六波羅蜜経の文を、どうして天台大師が盗むことができようかと仰せられている。そして、弘法が秘蔵宝鑰で述べた「人を謗じ法を謗ずれば定めて阿鼻獄に堕して」という文は、自らを責めて言ったところであろうかと皮肉をこめて断罪されている。


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