◎「ちゃんと守られている!」
今日は日曜日の午後1時〜4時まで3時間、普段会えない地区内の男子部員・壮年部員を、地区部長と男子部部長に連れられ、軽のワゴンで大牟田・荒尾を6軒回り、うち2人と会うことができました。
一人目……心に精神疾患を持ち、中々定職に就けない30歳過ぎの男子部、ある会社の寮に入って半年という。その会社をGoogleで検索したら独立行政法人管轄の障害者職業支援の会社。顔色もいい。
本人はまだ気づいていないようだが、
「あ、ちゃんと守られている!」
二人目……ガンが完治したため退院してほしいと病院から言われたものの、本人は自宅に帰りたくて堪らないけれど、家族からすれば自宅に戻ってきて貰うと困るから、いいように言いくるめられて、同じ病院系列のグループホームに一人住まわされている87歳のお爺ちゃん。行ったら顔色のいいこと!
「毎日何されていますか?」
「テレビばっかり見ちょります」
でも、富士山の綺麗な写真の“仏壇”に毎日お題目あげておられます。
このお爺ちゃんも自分では気づいておられないようですが、
「妙法のリズムでちゃんと守られている!」
隣近所を回る時は奥さんに連れられて、地区を回る時は地区部長に連れられて回るのが一番。
私「隣近所は奥さんの庭、大牟田市内は地区部長の庭ですね♪」
地区部長「東京は副支部長の庭でしょ!」
私「そうね♪」(笑)
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真言見聞 142ページ
第二章 謗法が堕獄の業因なるを明かす
文永九年七月 五十一歳御作
与三位房日行
謗法は無量の五逆に過ぎたり
<通解>
だから謗法は無量の五逆罪に過ぎている。
<解説>
謗法も五逆も、ともに無間地獄に堕ちる業因であるが、謗法のほうがはるかに重い罪であることを述べられている。
何故に、謗法の方が罪が重く、無量の五逆のほうが軽いのであろうか。これについては顕謗法抄に大品般若経の一節を引用されて答えられている。
すなわち「問うて云く五逆と謗法と罪の軽重如何、答て云く大品経に云く『舎利弗仏に白して言く世尊五逆罪と破法罪と相似するや、仏舎利弗に告わく相似と言うべからず所以は何ん若し般若波羅蜜を破れば則ち十方諸仏の一切智一切種智を破るに為んぬ、仏宝を破るが故に法宝を破るが故に僧宝を破るが故に三宝を破るが故に則ち世間の正見を破す世間の正見を破れば○則ち無量無辺阿僧祇の罪を得るなり無量無辺阿僧祇の罪を得已つて則ち無量無辺阿僧祇の憂苦を受るなり』」(0448−02)とある。
この文の般若波羅蜜とは真理を悟る智慧であり仏智のことである。すなわち、破法罪とは悟る智慧・仏智を破壊する行為といえる。仏智はまた一切諸仏を仏にした根源であり、その破壊は仏・法・僧の三宝を破り、世間の正見を破壊することになる。このゆえに、謗法の行為は最悪の行為となるのである。
これに対し、五逆は正法そのものに対する反逆行為ではない。たしかに、殺父・殺母・殺阿羅漢はそれぞれ恩義有り徳のある人を殺す行為であり、出水仏血は仏の身体より血を出すことであり、破和合僧は釈尊の教団を破壊するという罪で、それぞれに重罪であるから、決して犯してはならない行為ではある。しかし、正法に対する直接的な破壊行為である謗法に対し、五逆は恩があり尊ぶべき人の肉身や集団を破壊する行為であるという点で、謗法を犯す罪の五逆よりはるかに重いのである。
ちなみに五逆のなかの「仏身より血を出だす」と先の「三宝一体」との違いをいえば、五逆の場合は仏の肉身に対する加害であるのに対し。「謗仏」は“法を体現する存在”としての法を謗るゆえに「謗法」と同じになるとされるのである。