◎銀行から資産査定中!
今日は福岡銀行より電話で、決算内容について、根掘り葉掘り聞かれました。
「借入金について当行以外が増えているのはどちらですか」
「人件費の比率が増えていますが?」
「上海の収益は?」
銀行からすれば「破綻懸念先」でもなく、さりとて「正常先」でもなく、その間のいわゆる「要注意先」でしょうね。結構重石になります。
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真言見聞 142ページ
第二章 謗法が堕獄の業因なるを明かす
文永九年七月 五十一歳御作
与三位房日行
凡そ謗法とは謗仏・謗僧なり三宝一体なる故なり是れ涅槃経の文なり
<通解>
およそ謗法とは謗仏・謗僧である。仏・法・僧の三宝は一体であるゆえである。これは涅槃経の文である。
<解説>
仏・法・僧の三宝一体を説いているのは大般涅槃経巻8如来性品第12である。すなわち「汝今まさに諸声聞凡夫の人の如く三宝を分別すべからず。此の大乗においては三帰分別の相有ることなし。所以は何ん、仏性中において即ち法僧あり。声聞・凡夫を化度せんと欲する為の故に分別して三宝の異相を説く」とある。
ここは仏が迦葉菩薩を相手に説いているところである。声聞や凡夫を導くためには方便として三宝が別々であることを示してもよいが、大乗の菩薩にあっては三宝を分けてはならないと戒めており、その理由としては、仏性の中にも僧も含まれているからであるとして、本来、三宝が一体であることを示唆している。
また涅槃経巻2純陀品第2の文にある主・師・親の言葉をそれぞれ仏宝・法宝・僧宝にあてはめて釈した章安大師の涅槃経会疏巻2では「一切衆生同一仏性、其の味真正にして、一体三宝等しく差別なけれども、煩悩の覆敝する所の為に六道に輪廻し種種の身を受けて界隔差別し其の味混雑し…主なく親なく家を亡ぼし、国を亡ぼし一体三宝隠れて顕れず」と説いている。ここでも、一切衆生に同一の仏性が貫かれており、仏性においては三宝が一体であるとしている。
三宝一体の場合、法宝は無上の真理を、仏宝はその清浄の徳を、僧宝は和合の徳を、それぞれ表していることになる。
なお、本文に即して三宝の内容を述べるならば、法宝が法華経、仏宝は久遠実成の釈尊、僧宝が法華経を信じ行ずる和合僧団となる。更に、これを末法の文底独一本門についてみるならば、仏宝が久遠元初の自受用報身如来即日蓮大聖人、法宝が事の一念三千・三大秘法の南無妙法蓮華経、僧宝が日興上人となる。
いずれにせよ、ここで「三宝一体」を強調されるゆえんは、「謗法」という言葉の意味は、“法”である法華経への誹謗であるが、法華経そのものを誹謗しなくとも、釈尊を誹謗して大日如来を讃嘆しているのは大日は真言の経に結びつき、それに対して釈尊は法華経に結びついているから「謗法」となるということである。