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儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇

2017年04月30日 (日) 13:03
儒教に支配された中国

◎「儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇」ケント・ギルバート/講談社

【道徳と倫理を捨てた儒教の害毒】
『論語』
「己の欲せざる所、人に施すこと勿(な)かれ」(四書五経)
ところがこの儒教文化こそ、中国大陸を支配する王朝が次々に生まれては消えた長い歴史の中で、そこに住む人民を、そして周辺の国々を苦しめてきた、元凶の一つといっても過言ではないのです。
なぜなら儒教こそが、いまなお漢民族のエリート層を中心に根強く残っている「中華思想」と、密接に繋がっているからです。
中華思想では、中国の皇帝こそが世界の中心であり、そこから離れた地域は未開の地、そして、そこに住む人々は禽獣(きんじゅう)にも等しいと考えます。中心に根強く近ければ近いほど先進的で優れており、遠ければ遠いほど未開で野蛮なのだと、何の根拠もなく無条件に決め付けているのです。

【何でも韓国発祥の「ウリジナル」】
中国は自分たちより上でも、日本は格下でなければならないーーこれが朝鮮民族のメンタリテイーです。ところが経済でも学術でも日本には負けっぱなし。さらに文化でも日本には誇れるものがたくさんあるのに、韓国には目ぼしいものがない……。
そこでどうしたかというと、お得意の歴史捏造と盗用です。つまり日本の伝統とされる文化は、実は韓国が発祥だと言い出したのです。
確かに仏教や漢字などは中国大陸から日本に伝来しました。朝鮮半島を経由したものもあるかもしれません。しかし日本発祥の文化を「韓国が教えてやった」と強弁する姿は、醜さを通り越して、憐れです。
……
この「何でも韓国発祥説」は、朝鮮語で「われわれ」を意味する「ウリ」に、「オリジナル」を組み合わせて「ウリジナル」と揶揄されており、そのうちキリストも孔子も韓国人だなどと主張するのではないかと心配されます。

【儒教の死生観と日本の死生観】
日本ではたとえ罪人であっても、死んでしまえばその罪から解放されると考えます。しかし中国人や韓国人はそうは考えません。罪人はたとえ死んでも、永遠に罪人なのです。
だから中国人や韓国人にしてみれば、靖国神社に祀(まつ)られている「A級戦犯」は、終戦から何百年経っても絶対に許されない存在なのです。
彼らには「罪を憎んで人を憎まず」という概念が欠如しているのです。
……
…中国人や韓国人は、先祖崇拝という呪縛から逃れられないため、亡くなった日本兵の魂が祀られている靖国神社に為政者が参拝すると、「戦争礼賛」「軍国主義の復活」「歴史修正主義」といった目で見るのでしょう。被害妄想が強すぎるのです。


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