◎誓いの天地・豊島区(本日の聖教p.3)
豊島区も明後日2日行きます!
中野区5件、豊島区3件回る予定です。
平日ですので各事務所の先生方にお会いするのがとても楽しみです。
福岡空港9:00発?
☆2日レンタカータイムスケジュール
?東新宿0:20〜中野区0:40
◎中野区5件×20分=1:40/2:20
?中野区〜豊島区0:20/2:40
◎豊島区3件×20=1:00/3:40
?豊島区〜東新宿0:20/4:00
→足つぼマッサージ!?
【寸鉄】
旅行者狙う「ひったくり」に注意を。貴重品は肌身離さず。断じて無事故で
◎「儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇」ケント・ギルバート/講談社
【道徳と倫理を捨てた儒教の害毒】
『論語』
「己の欲せざる所、人に施すこと勿(な)かれ」(四書五経)
ところがこの儒教文化こそ、中国大陸を支配する王朝が次々に生まれては消えた長い歴史の中で、そこに住む人民を、そして周辺の国々を苦しめてきた、元凶の一つといっても過言ではないのです。
なぜなら儒教こそが、いまなお漢民族のエリート層を中心に根強く残っている「中華思想」と、密接に繋がっているからです。
中華思想では、中国の皇帝こそが世界の中心であり、そこから離れた地域は未開の地、そして、そこに住む人々は禽獣(きんじゅう)にも等しいと考えます。中心に根強く近ければ近いほど先進的で優れており、遠ければ遠いほど未開で野蛮なのだと、何の根拠もなく無条件に決め付けているのです。
【何でも韓国発祥の「ウリジナル」】
中国は自分たちより上でも、日本は格下でなければならないーーこれが朝鮮民族のメンタリテイーです。ところが経済でも学術でも日本には負けっぱなし。さらに文化でも日本には誇れるものがたくさんあるのに、韓国には目ぼしいものがない……。
そこでどうしたかというと、お得意の歴史捏造と盗用です。つまり日本の伝統とされる文化は、実は韓国が発祥だと言い出したのです。
確かに仏教や漢字などは中国大陸から日本に伝来しました。朝鮮半島を経由したものもあるかもしれません。しかし日本発祥の文化を「韓国が教えてやった」と強弁する姿は、醜さを通り越して、憐れです。
この「何でも韓国発祥説」は、朝鮮語で「われわれ」を意味する「ウリ」に、「オリジナル」を組み合わせて「ウリジナル」と揶揄されており、そのうちキリストも孔子も韓国人だなどと主張するのではないかと心配されます。
【儒教の死生観と日本の死生観】
日本ではたとえ罪人であっても、死んでしまえばその罪から解放されると考えます。しかし中国人や韓国人はそうは考えません。罪人はたとえ死んでも、永遠に罪人なのです。
だから中国人や韓国人にしてみれば、靖国神社に祀(まつ)られている「A級戦犯」は、終戦から何百年経っても絶対に許されない存在なのです。
彼らには「罪を憎んで人を憎まず」という概念が欠如しているのです。
中国人や韓国人は、先祖崇拝という呪縛から逃れられないため、亡くなった日本兵の魂が祀られている靖国神社に為政者が参拝すると、「戦争礼賛」「軍国主義の復活」「歴史修正主義」といった目で見るのでしょう。被害妄想が強すぎるのです。
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【寸鉄】
青年は読書と思索の暇(いとま)つくれ
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◎今日で題目が2,610万遍!(12年)
明日から再度時間を増やし、平均一日2時間、毎月20万遍、今年9月までに2,700万遍、来年11月18日3,000万遍を目指します。
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【寸鉄】
勤勉を習慣的にするコツは思い切って始めることーー哲人ヒルテイ。さあ今ここから
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真言諸宗違目 141頁
第五章
教の勝劣により人を判ずべきを明かす
文永九年五月 五十一歳御作
何ぞ汝始めて之を驚かんや教に依つて人の勝劣を定む先ず経の勝劣を知らずんば何ぞ人の高下を論ぜんや。
<通解>
どうしてあなたはこのことを聞いて、初めて聞いたかのように驚くのであろうか。教によっていずれの人が勝れ、いずれの人が劣っているかが定まるのである。まず、経の勝劣を知らなければどうして人の高下を論ずることができようか。
<解説>
そうした道理によれば、大聖人が諸宗の元祖に勝るとするのに何を驚くことがあろうかとされ、教法の勝劣に依って人の勝劣がさだまるのであるから、まず経の勝劣を知らなければ人の勝劣・高下を論ずることはできない、と破されているのである。
諸宗の元祖が勝れているとする主張は感情論であり、昔から人々に尊崇されてきたからというにすぎない。
大聖人は仏法の道理と文証の上から、釈尊の仏法の中では法華経を持つ者こそが勝れ、末法においては大聖人こそが勝れていることを明かされているのである。
なお最蓮房御返事には「善無畏・金剛智・達磨・慧可・善導・法然・東寺の弘法・園城寺の智証・山門の慈覚・関東の良観等の諸師は今の正直捨方便の金言を読み候には正直捨実教・但説方便教と読み・或は於諸経中・最在其上の経文をば於諸経中・最在其下と・或は法華最第一の経文をば法華最第二・第三等と読む、故に此等の法師原を邪悪の師と申し候なり」(1341−08)と述べ、諸宗の元祖等は諸経の中で第一である法華経を下し誹謗して、誤った宗旨を立てた邪悪の師であると厳しく破折されている。