
◎今年は「ロシア革命」から100年
 「歴史的必然という共産主義理論はすでに破綻している」
 ーー資本主義でもなく共産主義でもなく人間主義へ!
 10年前レーニン廟を訪れていて良かったです。?
 
 
 ◎日本人はベストツーリスト!
 「韓国人は日本を恨むことに力を注ぐのでなく、日本人が世界から好まれている理由をしっかり学んだ方がいいぜ」
 (トニー・マラーノ)
 ーー心温まるメッセージですが、これは確かに言えます。
 かつて日本も「日本の常識は世界の非常識」と言われていた時期がありました。たしかバブルの頃だったように記憶しています。
 「覇権」も「恫喝」も「嫉妬」も発展途上国ということのようです。
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 ◎ブルターニュ地方は「九十三年」の舞台!
 
 結論ーー女性が家庭の女王に!
 
 2013年11月10日?(日)?23:56ブログ
 
 世界の良書…心に残る一句
 
 7.九十三年(全2巻)/ユゴー
 
 上:暴虐に対する人間愛の勝利
 下:革命と良心の葛藤劇
 
 一七九三年五月の末のころ、サンテール将軍の指揮下にブルターニュへ攻めこんだパリ軍の一大隊が、…
 
 ゴーヴァンは話しつづけた。
 「女性についてはいかがですか?女性をどう扱われるおつもりですか?」
 シムールダンが答えた。
 「いまと同じさ。男性の奉仕者だよ」
 「そうです。ただしひとつの条件づきで」
 「どんな条件だ?」
 「男性が女性の奉仕者になるという条件です」
 「本気でそう思うのか?」と、シムールダンが叫んだ。「男が奉仕者だと! とんでもない。男は主人だ。わしが認める王政はただひとつ、家庭という王政だけだ。男は家庭では王なのだ」
 「そうです。ただひとつの条件づきで」
 「どんな条件だ?」
 「女性が家庭の女王になるという条件です」
 
 
 あれはいったいなんだろう。
 …
 「九十三年」は古い世界に向かってこう言ったのだ。「さあ、やってきたぞ」
 断頭台は城塔に向かって、こう言う権利をもっていた。「わたしはおまえの娘なのだ」
 と同時に、城塔の方も、こうした死とのつながりのあるものは暗い生き方をしているから、自分はこの娘に殺される、と感じていた。
 
 そして、この二つの魂、悲劇を分け合う姉妹とも言うべき二つの魂は、ともに連れだって、飛び去っていった。ひとつは闇、ひとつは光と化して、たがいにもつれあいながら。 
 
 
 ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎ 
 
 真言諸宗違目 140頁
 第五章
 教の勝劣により人を判ずべきを明かす  
 文永九年五月 五十一歳御作  
 
 答えて云く法華経に云く 「又大梵天王の一切衆生の父の如く」又云く「此の経は○諸経の中の王なり最も為れ第一なり 能く是の経典を受持すること有らん者は 亦復是くの如し一切衆生の中に於て亦為れ第一なり」等云云、 
 
 <通解> 
 答えていう。法華経薬王菩薩本事品第二十三には「また、大梵天王がすべての衆生の父であるのと同じように、法華経も一切の聖賢や菩薩の心を起こす者の父である、と説かれ、また、同品に「この経は…諸経の中の王である。…最もこの経が第一である。 
 
 <解説>
 それに答えて大聖人は、法華経薬王菩薩本事品第23の「大梵天王の、一切衆生の父なるが如く、此の経も亦復是くの如し。一切の賢聖、学無学、及び菩薩の心を発す者の父なり」の文と、同じく「此の経も亦復是の如し。諸経の中の王なり…一切の如来の所説、若しは菩薩の所説、若しは声聞の所説、諸の経法の中に最も為れ第一なり。能く是の経典を受持すること有らん者も、亦復是の如し。一切衆生の中に於いて、亦為れだいいちなり」の文を略して引かれている。
 
 これは、薬王品の中で、法華経が諸教の中で最高の教えであることを示すために説かれた十種の譬喩の第七喩と第八喩の文にあたっている。
 
 娑婆世界の主とされる大梵天王が一切衆生の父であるように、法華経は一切衆生にとって父の存在であるとの譬えから、それを弘通する者もまた一切衆生にとっては父の存在になるとの意である。また諸教の王である法華経をよく受持する者は、一切衆生の中で第一なのであるから、末法の法華経の行者である日蓮大聖人が、一切衆生の中で第一となることは当然であることを示しているのである。