
九州北部地方ではせっかく桜が満開なのに雨続きで、そのまま散ってしまい、ゆっくりと花見を鑑賞する余裕もないほどです。
 
 自然は心もなく容赦なし! 
 花見などする間もないほど風雲急を告ぐ!
 という感じでしょうか。
 いちいち自民党に前もって相談する必要なし!
 
 誠に男の嫉妬は真っ黒け! 
 春の嵐は戦う都議選への予兆のようです。 
 戦いのお膳立てが出来つつあるようです。 
 
 
 ◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
 
 真言諸宗違目 139頁
 第二章 
 真言等の諸宗の誤りを略して挙げる 
 文永九年五月 五十一歳御作 
 
 浄土宗は善導等・観経等を見て一分の慈悲を起し摂地(じょうち)二論の人師に向つて一向専修の義を立て畢んぬ、
 
 <通解>
 浄土宗は善導らが観無量寿経などを見てごくわずかの慈悲を起こして、摂論宗と地論宗の人師に向かってひたすら念仏のみを修行すべきであるとの教義を立てたのである。 
 
 
 日本の法然之を誤(あやま)り天台真言等を以て雑行に入れ 末代不相応の思いを為して国中を誑惑(おうわく)して長夜に迷(まよ)わしむ、 
 <通解> 
 日本の法然は、この善導らの教義を誤って解釈し、天台宗・真言宗を雑行に入れ、それらは末法の時に適っていないという誤った考えを起こして日本国中の人々をたぶらかし、惑わせ、更に死後にまで、六道の生死輪廻の迷いに陥れている。 
 
 
 之を明めし導師は但日蓮一人なるのみ。
 <通解> 
 このような諸宗の邪義を明らかにした導師は、ただ日蓮一人だけなのである。 
 
 <解説>
 
 『専ら念仏の一行を修めよ』 
 次に浄土宗について、善導等が観経等の経典を見て一分の慈悲を起こし、当時の摂論宗や地論宗の人師に向かって余行を選び捨てて専ら念仏の一行を修めよと一向専修の教義をたてたのであるとされている。
 
 『他力本願によって弥陀の浄土に往生』 
 中国浄土教善導流の祖とされる善導は、道綽のもとで観無量寿経を学んで念仏を行じ、師の滅後、念仏の弘教に励んだ。その著・観経疏のなかの、称名念仏という他力本願によって弥陀の浄土に往生できるとの思想は、法然の選択集にもしばしば引用され、最も重要な依りどころとなっている。また、往生礼讃偈では「千中無一」と説き、念仏以外の雑行を修行する者は千人の中で一人も成仏しない、としている。
 
 『日本の法然が善導らの誤りを更に拡大』
 本来、善導ら中国の祖師たちは法華経以外の諸経について聖道・浄土・正行・雑行の義をたてたのであったが、日本の法然が善導らの誤りを更に拡大して、天台・真言をも雑行の中に含めて、法華経を末法には不相応の教えであると誹謗し、国中の人々を誑かし生死の闇に迷わせたのである、とされている。