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2017.4.2

2017年04月02日 (日) 23:20
2017.4.2

まだ体調が万全ではありません。今度のはだいぶしつこいようです。

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真言諸宗違目 
第二章 
真言等の諸宗の誤りを略して挙げる
文永九年五月 五十一歳御作 

華厳宗は則天皇后の御宇に之を始む、 
澄観等天台の十乗の観法を盗んで華厳経に入れて之を立て華厳宗と号す

<通解>

華厳宗は唐の則天皇后の時代に始まったものである。第四祖の澄観らが天台大師の十乗観法を盗んで華厳経に取り入れて宗派を立て、華厳宗と称したのである。

<解説>

『超過の心ををこす』
開目抄には「華厳宗と真言宗とは本は権経・権宗なり善無畏三蔵・金剛智三蔵・天台の一念三千の義を盗みとつて自宗の肝心とし其の上に印と真言とを加て超過の心ををこす、 

『人これをしらず』
其の子細をしらぬ学者等は天竺より大日経に一念三千の法門ありけりと・うちをもう、 華厳宗は澄観が時・華厳経の心如工画師の文に 天台の一念三千の法門を偸み入れたり、人これをしらず」(0190−04)とも、また「華厳経・乃至諸大乗経・大日経等の諸尊の種子・皆一念三千なり天台智者大師・一人此の法門を得給えり、華厳宗の澄観・此の義を盗んで 華厳経の心如工画師の文の神とす」(0215−17)とも述べられている。


『華厳は死の法門にして法華は活の法門なり』
天台大師が華厳経の文を引いた理由について、日寛上人は三重秘伝抄に「彼の経に記小久成を明かさず、何ぞ一念三千を明かさんや。若し大師引用の意は、浄覚云く『今の引用は会入の後に従う』等云云。又古徳云く『華厳は死の法門にして法華は活の法門なり』云云。

『有名無実なる故に死の法門』
『会入の後は猶蘇生の如し、故に活の法門』
彼の経の当分は有名無実なる故に死の法門と云う…若し会入の後は猶蘇生の如し、故に活の法門と云うなり」と述べている。華厳経には二乗作仏・久遠実成が説かれていないのだから、一念三千が明かされるわけがないのであり、天台大師が引用したのは、あくまでも法華経に会入したうえでのことだったのである。


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