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2017.3.11

2017年03月12日 (日) 03:46
2017.3.11

東日本大震災のあった年の7月と11月、「創価学会無料法律・税務相談会」として、弁護士6名、会計士・税理士2名で、石巻文化会館と宮古文化会館を訪れました。

その時に事務局長していたのが、今神奈川から参議院議員になっている弁護士の佐々木さやかちゃんです。???

その時に大川小学校の焼きただれた光景を目の前にした時、涙が溢れて仕方ありませんでした。

その年のNHK紅白歌合戦で、長渕剛が大川小学校の前で「ひとつ」 を歌っているのを家族で観ているとき、妻、
「ほら、お父さんの泣きよらすよ」
娘、後ろを向いて私の顔をまじまじと…
???

相談者の一人の年取ったご婦人は、日顕宗の坊主になった親戚から震災給付金を狙って戸籍を抜くよう強要されているという狡猾滑稽な、生々しい相談でした。
「何も心配することありませんよ」
一人のご婦人のために「あー行って良かった!」

とても貴重な経験をさせて貰いました。


今日、本部幹部会同時中継に参加し、脱会者、坊主、四月会との熾烈な攻防に勝ち抜いてきた歴史に、改めて粛然とした気持ちになりました。

『一人も洩れなく幸福に』
祈っていきなさい!

終了後にトイレに立っていたら、なんと私のブロックの未活の壮年部員が背広着て入って来ました。
「えッ、もしかして王城会?」
「ええ、何がなんだかさっぱりわかりませんよー」
「えー!すごいねえ♪」

トイレ出たら支部長と地区部長が!
私「やっぱり祈りというのは叶うもんですね」
支部長「いやいや副支部長の祈りですよ」
私「私は祈り役、行動は支部長ですよ!」
???


??????????????????

真言天台勝劣事 138ページ?
第14章 真言が五時に属さずの説を破る
文永七年 四十九歳御作

◎一味の文を以て法華の摂と云う事甚だいはれなし彼は法開会の文にして全く人開会なし

<通解>
ゆえに一切智智は一味であるとあるという開会の文をもって法華部に入るというのは全く正当な理由がない。それは法開会の文であって、全く人開会は説いていない。


<解説>

『大日経には人開会がない』
大聖人は上の安然の教時義の釈は、根拠のない言い分であるとされ、その理由として、大日経の「一切智智・一味」の文は単に開会にすぎず、大日経には人開会がないから、真実の開会とはいえないと仰せられている。

『一切智智・一味」』
このことを理解するために「一切智智・一味の文」というのを見てみよう。大日経巻1に「世尊、如何が如来応供正遍知は一切智智を得たもうや。彼一切智智を得て、無量の衆生の為に広演分布し、種種の趣と種種の性欲とに随って、種種の方便道をもって一切智智を宣説したもう。或いは声聞乗道、或いは縁覚乗道、或いは大乗道、或いは五通智道、或いは願って天に生じ、或いは人中及び竜・夜叉・乾闥婆に生じ、乃至摩睺羅伽に生ずる法をときたもう…而して此の一切智智道は一味なり」とあるのがそれである。

『声聞乗道・縁覚乗道・大乗道』
ここに一切智智とは大日如来の仏智のことで、大日如来はこの仏智を得てのち、無量の衆生のために、彼らのさまざまな傾向性と求めに応じて、声聞乗道・縁覚乗道・大乗道などを説いてきた。それらはどこまでも一切智智を説くためのことであると述べ、「一切智智道は一味なり」すなわち、全ての教法は一切智智の道に通じていて一味平等であると結論している文である。
安然は、この文をもって、大日経には開会が説かれているから、同じく一切法を開会した第五法華時に摂せられるべきであるといったのである。

『大日経の開会は法の開会』
これに対して、大聖人は大日経の開会は法の開会にすぎず、人の開会、すなわち、成仏することができないとされてきた衆生を、成仏する一切衆生の中に等しくして入れることは説いていないから真の開会ではなく、法華経の開会とは全く違うと指摘されている。

『抽象的観念の上で「平等」』
法の開会だけなら、方等時や般若時の経教でもとかれていることで、これは抽象的観念の上で「平等」を唱えているにすぎないのである。


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