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2017.2.28

2017年03月01日 (水) 03:51
2017.2.28

今日の確定申告でーー
私「私と5つくらいしか違わないのに、もう年金を貰ってあるんですね」
お客さん「そうですよ、5年くらいすぐに来ますよ」(笑)
ーー昭和の20年代後半生まれの方々が年金を貰い始められています。団塊世代はもう70歳!本当に早いものです。?


公明党漆原良夫さんの直言は、本当に含蓄があります。?


北の暴挙は拉致問題解決の好機!?

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真言天台勝劣事 137ページ?
第12章印・尊形等の事相につき答う
文永七年 四十九歳御作

◎答う凡そ印相尊形は是れ権経の説にして実教の談に非ず 
<通解>
答える。そもそも印相や尊形は権教の説くところであって実教の述べるところではない。

◎設い之を説くとも権実大小の差別浅深有るべし、 
<通解>
たとえこれを説いていたとしても、権教・実教・大乗・小乗の差別の浅深があるべきである。


◎所以に阿含経等にも印相有るが故に必ず法華に印相尊形を説くことを得ずして 之を説かざるに非ず説くまじければ 是を説かぬにこそ有れ法華は只三世十方の仏の本意を説いて 其形がとあるかうあるとは云う可からず、 
<通解>
ゆえに阿含経等にも印相が説かれているのであるから、必ずしも法華経に印相や尊形を説かれているのであるから、必ずしも法華経に印相や尊行を説くことができなくて説かなかったのではなく、説く必要がないので説かなかったのである。
法華経はただ三世十方の仏の本意を説いているのであり、その形がどうであるかこうであるかはいっていないのである。

◎例せば世界建立の相を説かねばとて法華は倶舎より劣るとは云う可からざるが如し、
<通解>
例えば、世界建立の様相を説かないからといって、法華経は倶舎論よりも劣るなどということができないようなものである。

<解説>

第五問答の答えに入る。ここでは、先の4点にわたる難詰のうち?印・真言・三摩耶尊形といった事相について詳しいのは大日経であり、これに対し、法華経にはほとんど説かれていないから、法華経は真言に劣るという言い分を破られている。


まず、印とは印相とも印契ともいう。諸仏や諸菩薩の悟りや誓願等を形として表したものであるが、これに二つある。


一つは悟りや誓願等を指す特別な形に結んで表示したものを手印といい、いま一つは所持する刀剣などの武器でもって表すものを契印という。


真言は呪、神呪、陀羅尼ともいい、仏の悟りや誓願を示す秘密の言葉で一種の呪文である。三摩耶尊形とは“三摩耶”が真言宗では誓願の本願を意味し“尊形”が象徴する物を意味することから、諸仏、諸菩薩が心に懐いている衆生救済の誓いと願いを形の上で象徴する弓・箭・剣・卒塔婆などの器物や印をいう。この意味で、印と三摩耶尊形とは重なり合うが、主として手の指によるのを印、持つ器物を三摩耶と考えてよい。


さて、これら印・真言・三摩耶尊形という外に表れた具体的な形が法華経にはほとんど説かれていないとの難詰に対して、大聖人はまず、印相・尊形といった外面的な問題に力を入れて説いたのは権教であって、実教の法華経では枝葉のことであるから、あまり説かなかったのであると述べられている。そして、実教の法華経でも印相等の事相を説いてあったにしても、あくまで教えの権実・大小・浅深の区別を重視すべきであって、事相を説いているかいないかは大した問題ではないと一蹴されている。


したがって、阿含経の小乗教にも印相が説かれているので、法華経では詳しく説く必要がないゆえに説かないのであると述べられている。


更に、法華経は最も重要な三世十方の諸仏の本意を説き明かすことを目的としたものであって印の形の問題などには触れていないのであると言われ、印・真言が詳しくないことをもって法華経を劣ると考えるのは大なる誤りであると破折されている。


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