「金(キム)○○と申します」
今日はいきなり事務所に韓国の男性が入って来られました。
「え、お電話かされました?」
「いえ、すみません、こちらがいいと聞きまして」
昨年大牟田市内に居酒屋をオープンされ、なんと確定申告をお願いしたいと。日本人女性と結婚され、日本の運転免許証もあり、在留カード、マイナンバーも、帳簿書類も。
「ええ、すごいですね♪」
かつて上海事務所にいた女性スタッフも「金(チン)さん」だったなあ。祖父の代に中国東北部から上海に移って来たとの事。浅田次郎の「蒼穹の昴」も思い出しながら、朝鮮半島から中国東北部は「金」という名前が多いのかなと想いを巡らしていました。
家に帰って妻にーー
「恵(娘)も韓国人だったらうまくいくかもばい。どう見ても日本人では治まらん。喜怒哀楽が激しいし。どっちに似たのかね!それこそマレーシアか韓国。マレーシアは遠いから韓国ならいいかも」
(娘は高校生の時にマレーシアに1週間ホームステイ)
妻もかつてそう言っていましたが、笑いながらも「そうかもね」という感じでした。
私「どこに使命と縁があるかわからん」
北朝鮮も「大悪おこれば大善来たる」かな……??
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真言天台勝劣事 136ページ?
第八章大日の法身説法・無始無終説を破る
文永七年 四十九歳御作?
◎法は定んで説かず報は二義に通ずるの二身の有るをば一向知らざるなり
<通解>
法身は決して説かず、報身は説くと説かないとの二義に通ずる他受用身と自受用身の二身があるのを全くしらないのである。
<解説>
更にいえば、法身の説法ということ自体、ありえないことである。
まず、法は定んで説かず、つまり、法身とは法そのものであるから、それが説法するなどということはない。
それに対し、報は二義に通ずる二身が有る。
つまり、報身には自受用報身と他受用報身の二身あって、前者は法を説かない法身の義に通じ、後者は法を説く応身の義に通ずるという二義を存するというのが仏身論の基本であることを明らかにされている。
法身説法という邪義を説く弘法は以上のような仏身論の原則を全く知らないのであると打ち破られている。
では「法仏説法」という楞伽経の文は何を意味するかといえば、具体的に法身仏が説法するということではなく、衆生が仏法を修し真理を思索したときに、自ずと悟ることをこのように表現したにすぎない。
しかも前述のように未顕真実の権教である楞伽経であるから、その真理というものも浅いものでしかないということである。