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2017.2.13

2017年02月14日 (火) 01:18
2017.2.13

税務調査の初日ーー
私「あれ、統括が来たの!」
統括「すみません、担当がインフルエンザになってしまったものですから」

私「忘年会の時に媚を売る酒の足らんやったかなあ」
統括「先生そういうこと言っちゃダメですよ」(笑)

夕方、妹から報告のメール
「今日は売上を中心に見られて、今の所何も無いです」

安倍首相は米国から帰国後NHKに生出演。その誠意ある言動は本当に素晴らしいです。それにしても日本の野党は本当に悪すぎます。日本経済新聞も完全に上から目線です。
「じゃああんたたちは何をやったの!」


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真言天台勝劣事 135ページ?
第七章大日は釈尊の異名なる事を明かす
文永七年 四十九歳御作?



◎故に大日法身と云うは法華経の自受用報身にも及ばず
<通解>
ゆえに大日法身というのは法華経の自受用報身にも及ばない。


◎況や法華経の法身如来にはまして及ぶ可からず
<通解>
ましてや法華経の法身如来には及ぶはずがない。


◎法華経の自受用身と法身とは真言には分絶えて知らざるなり
<通解>
法華経の自受用身と法身は、真言経には立場が隔絶しており、知ることのできないところである。

◎法報不分二三莫弁と天台宗にもきらはるるなり
<通解>
法華文句記に「法報を分かたず、二・三弁うること莫し」と述べられているように天台宗からも排斥されているのである。

<解説>

『新訳と旧訳』
前に述べられているように、新訳では毘盧遮那法身としているが、これは、旧訳の盧遮那他受用身のことである。

『法華経の法身如来には及ばない』
したがって、新訳の毘盧遮那すなわち真言密教の大日如来は、法身といっても、旧訳では他受用報身であるから、法華経の自受用報身にも及ばず、いわんや法華経の法身如来には及ばない、と言われているのである。

『自受用身に劣り』
いうまでもなく、他受用身は自受用身に劣り、ましてや法身如来には劣ることは明らかだからである。

『五百塵点劫成道の釈尊』
ここで「法華経の自受用報身」が寿量品で明かされた五百塵点劫成道の釈尊、すなわち「応仏昇進の自受用報身」であることはいうまでもない。

『久遠元初自受用報身』
それに対し、さらに勝れる「法華経の法身如来」とは成仏の根源である妙法そのものであり、この妙法と体一である「久遠元初自受用報身」となるのである。

『法報不分二三莫弁』
また「法報不分二三莫弁」の文は、旧訳では毘盧遮那他受用身とあるのを新訳では毘盧遮那法身と翻訳していることについて、天台宗の妙楽大師が述べたもので、新訳の訳者は“法報分かたず”法身と報身を立て分けられず、法報応の三身等の区分けを弁えていないと批判したのである。

『分絶えて知らざるなり」』
いずれにしても、真言宗は法華経の自受用身と法身については「分絶えて知らざるなり」と結論されている。

『余りに隔絶して高すぎる』
すなわち、真言宗にとっては、法華経の自受用身と法身は余りに隔絶して高すぎるために分からないのであると仰せられている。


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