今月のブロック座談会(ブロック長、私、九州では「先駆長」)は、このFBで繋がった桑畑・元公明党大牟田市議会議員に入って頂けることになりました。つい最近まで党筑後総支部長をされていて、もうまもなく80歳ということですが、今週沖縄にも行かれるそうです。中学生の頃から知っています。?
民進党の天下り追及、久しぶりに違和感なく聞いておれます。さすが民進党。同じ穴のムジナ!?
支部内もインフルエンザに感染しています。唱題会も中止。
妻「お父さん熱ない?」
私「ないよ…36.2度」
「お父さん菌には強いね〜」
「うん俺自身が菌だから!」 ?
??????????????????
真言天台勝劣事 135ページ?
第五章弘法と覚鑁の謬見を破折する
文永七年 四十九歳御作?
安然の教時義と云う文(ふみ)に十住心の立様(たてよう)を破して云く五つの失有り謂く 一には大日経の義釈に違(い)する失・二には金剛頂経に違する失・三には守護経に違する失・四には菩提心論に違する失・五には衆師に違する失なり、
<通解>
安然の教時義という書には、十住心の立の立て方を破折るして「これに五つの誤りがある。一には大日経の義釈に相違する誤り、二には金剛頂経に相違する誤り、三には守護経に相違する誤り、四には菩提心論に相違する誤り、五には多くの師に相違する誤りである」と述べている。
<解説>
弘法の十住心の立て分けに関し、日本天台宗の五代院安然が教時義、正確には真言宗教時義、という著書の中で5つの仏法上の誤り、罪があると指摘していることを紹介されている。
これは真言宗教時義4巻のうち、第2巻に説かれている。すなわち「五失有る故に十心の次第を用いず」として、
?大日経及び大日経義釈に違する失。
?金剛頂経に違する失。
?守護経に違する失。
?菩提心論に違する失。
?衆師の説に違する失。
を挙げている。
さてここでは5失の一つ一つについて解説することはしないが、大聖人は法華真言勝劣事において
『名目は之無し』
「然るに出す所の大日経の住心品を見て他縁大乗・覚心不生・極無自性を尋ぬるに名目は経文に之有り然りと雖も他縁・覚心・極無自性の三句を法相・三論・華厳に配する名目は之無し、
『文義共に之無し』
其の上覚心不生と極無自性との中間に如実一道の文義共に之無し、
『如実に自心を知る』
但し此の品の初に『云何なるか菩提・謂く如実に自心を知る』等の文之有り、
『天台宗と名づけ』
此の文を取つて此の二句の中間に置いて天台宗と名づけ華厳宗に劣るの由之を存す住心品に於ては全く文義共に之無し」(0120−06)と述べられている。
これは安然の指摘する5失のうち、
?大日経及び大日経義釈に違する失、にあたる。
『弘法の独断』
弘法は大日経の住心品の第1の文に基づいて、十住心の立て分けを作ったと称しているのであるが、たしかに他縁大乗・覚心不生・極無自性という意味の言葉は経文にある。しかし、この三句をそれぞれ法相宗・三論宗・華厳宗に配分したのは弘法の独断にすぎないし、
『勝手に如実一道という名を作りだして』
更に、覚心不生と極無自性との間に立てた如実一道は、その名前も意義も経にはないのに、住心品の初めに、菩薩とは何であるかとの問いに答えて、如実に自己を知ることである、とのべているのを、弘法は勝手に如実一道という名を作りだして挟み込み、しかもこれを天台宗に割り振ったにすぎない。と大聖人は指摘だれている。
『古より諍論之れ有り』
大聖人は続いて「菩提心論の文に於ても法華・華厳の勝劣都て之を見ざる上、此の論は竜猛菩薩の論と云う事上古より諍論之れ有り、
『竪義の法に背く』
此の諍論絶えざる已前に亀鏡に立つる事は竪義の法に背く、
『法華経と大日経とは広略の異』
其の上善無畏・金剛智等評定有つて大日経の疏義釈を作れり一行阿闍梨の執筆なり、此の疏義釈の中に諸宗の勝劣を判ずるに法華経と大日経とは広略の異なりと定め畢んぬ」(0121−02)と述べられている。これは、安然指摘の?菩提心論に違する失、?衆師の説に違する失、に当たる。
『原則に違背』
弘法が十住心の勝劣を判ずるにあたり依った菩提心論自体、果たして竜猛菩薩、すなわち竜樹が著したものであるかについて古来からの論議があり、そのような著作を亀鏡として勝劣を判ずることそれ自身が堅義の法、すなわち法門や教理を立てる原則に違背している。更に、その菩提心論にもない法華・華厳の勝劣を勝手に立てて、菩提心論に違背しているのである。
『「衆師」に違背』
また、善無畏等が一行阿闍梨に説いて執筆させたとされる大日経義釈の中では、法華経と大日経との間に勝劣を認めず広・略の異なりだけであるとしているのに、弘法が法華経は大日経の三重の劣であるというのは善無畏や金剛智といった密教の「衆師」に違背していることになるのである。
『空海の徳貴しと雖も』
ゆえに「空海の徳貴しと雖も争か先師の義に背く可きやと云う難此れ強し」(0121−05)と結ばれているのである。