中国、ついに北朝鮮まで「仮想敵」。隣接の国全てを敵に回す習近平。礼の国なのに礼を知らない愚かな指導者!
釈尊「殺そうと争闘する人々を見よ。武力を執って打とうとしたことから恐怖が生じたのである」(2017.1.27SGI記念提言p.2)
九電黒字なのになぜ電気料上げるの!競争なき大企業は頭から腐っていく。腐るのも「先駆の九州」かな?!
ヤマダ電気ーーやっと復活しましたね!創大卒の社長、個人的には全然知らないけど、心の底で心配し祈っていました。
野党「思考停止だ」ーー思考停止はお前の方だろうが!野田よ、それでよ〜総理大臣やってたよ。「腐心」ということを知らない!
私は奥さんの前で「思考停止」!?
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真言天台勝劣事 134ページ?
第四章真言が七重八重劣る理由を示す
文永七年 四十九歳御作?
『能く衆生をして仏性を見せしむ』
◎次に涅槃経の九に云く「是の経の世に出ずるは彼の果実の利益する所多く 一切を安楽ならしむるが如く能(よ)く衆生をして仏性を見せしむ、
<通解>
次に涅槃経の巻九に「この経が世に出るのは、果実が多くの利益をもたらして一切の人々を安楽にさせるように、衆生の仏性を見いださせるためである。
『秋収冬蔵』
◎法華の中の八千の声聞(しょうもん)記別を得授するが如く大果実を成じ秋収冬蔵して 更に所作(しょさ)無きが如し」云云、
<通解>
法華経の中の八千人の声聞が記別を得て大果実を成じるようなことは、秋に収め冬に蔵してしまって、もはやなすべきことがないようなものである」とあり、
『同味なれども然も涅槃尚劣る』
◎籤(せん)の一に云く「一家の義意謂(おもえら)く二部同味なれども然も涅槃尚劣る」云云、
<通解>
法華玄義釈籤の巻一に「天台一家の意義をもって考えると、法華経と涅槃経の二部は同味であるけれども、なお涅槃経は劣っている」とある。
『同じ醍醐味なれども』
◎此の文の心は涅槃(ねはん)経も醍醐(だいご)味・法華経も醍醐(だいご)味同じ醍醐味なれども涅槃経は尚(なお)劣(おと)るなり 法華経は勝れたりと云へり、
<通解>
この文の意は、涅槃経も醍醐味で法華経も醍醐味であって々醍醐味であるけれども涅槃経はなお劣り、法華経は勝れているということである。
『醍醐味なるが故に』
涅槃経は既に法華の序分の無量義経よりも劣り醍醐味なるが故に華厳経には勝たり此其三、
<通解>
涅槃経は既に法華経の序分の無量義経よりも劣り、醍醐味であるがゆえに華厳経よりも勝れているのである。(これが第三の理由である)
<解説>
『涅槃経』
初めの文は涅槃経如来性品第四の六の文である。
『一切の人々を安楽にさせるように』
ここでは、涅槃経説法の意義が、ちょうど果実が多くの利益をもたらして一切の人々を安楽にさせるように、衆生に仏性を見いだせるためである。
『もはやなすべきことがないようなもの』
法華経の中で8000人の声聞が未来成仏の記別を得て大果実を成じるようなことは、 秋に取り入れ、冬に取り込んでしまって、もはやなすべきことがないようなものであるという意味である。
『法華経をば秋収冬蔵の大菓実の位』
大聖人は報恩抄において同じ文を引用された後、次のように述べられている。すなわち「経文明に諸経をば春夏と説かせ給い涅槃経と法華経とをば菓実の位とは説かれて候へども法華経をば秋収冬蔵の大菓実の位・涅槃経をば秋の末・冬の始捃拾(くんじゅう)の位と定め給いぬ、此の経文正く法華経には我が身劣ると承伏し給いぬ」(0300−05)と。
『涅槃経は…落穂拾いの位』
一切経を植物の成長にたとえると、法華・涅槃以外の諸経は春夏の成長期にあたるのに対し、法華経と涅槃経は果実の位にあたる、だが、同じ果実の位でも法華経は秋に取り入れ、冬に取り込んでしまった大果実の位であるのに対し、涅槃経は秋の終わり、冬の始めの落穂拾いの位であると定め、涅槃経自身が法華経に劣ることを明らかにした文であることを述べられている。
『法華経が勝り涅槃経の方が劣る』
次の「籤(せん)の一」は妙楽大師の法華玄義釈籤(しゃくせん)の文で、天台宗の教理では法華経と涅槃経の二部はともに同じ醍醐味の教えではあるが、その中では法華経が勝り涅槃経の方が劣るという意である。
『法華経>無量義経>涅槃経』
涅槃経の文と法華玄義釈籤の文の二文によって、涅槃経が法華経に劣ることは明白であるが、涅槃経と無量義経を比べると、涅槃経は法華経の開経である無量義経には劣るとされ、しかも法華経と同じ醍醐味であるから涅槃経には勝ると決定されている
『?法華経・?無量義経・?涅槃経』
ここで、法華経と無量義経と涅槃経はともに醍醐味でありながら、三部の勝劣は?法華経・?無量義経・?涅槃経という順になるのである。
『真言七重勝劣事では…?法華経?涅槃経・?無量義経』
ところで、真言七重勝劣事、一代五時継図では、?法華経は変わらないが、?涅槃経・?無量義経の順となっている。
『その勝劣は微妙』
つまり、無量義経と涅槃経とでは同じ醍醐味であるだけに、その勝劣は微妙であることが分かる。法華経との関係において、開経、序分としての立場を重く捉えると無量義経が勝り、法華経の説を重ねて説いたものということを重視すると涅槃経が勝る、ということであろう。